意識の諸状態

私たちが合理的意識と呼んでいる意識、つまり私たちの正常な、目ざめているときの意識というものは、意識の一特殊型にすぎないのであって、この意識のまわりをぐるっととりまき、きわめて薄い膜でそれと隔てられて、それとは全く違った潜在的ないろいろの形態の意識がある、という結論である。私たちはこのような形態の意識が存在することに気づかずに生涯を送ることもあろう。しかし必要な刺激を与えると、一瞬にしてそういう意識の形態の意識が全く完全な姿で現われてくる。それは恐らくどこかにその適用と適応との場をもつ明確な型の心的状態なのである。この普通とは別の形の意識を全く無視するような宇宙全体の説明は、終局的なものであることはできない。

『宗教的経験の諸相』舛田啓三郎訳(1961、190頁)*1

合理的な意識状態とはまったく違った意識の状態が、すぐ隣にあって、ちょっとした刺激で全く完全な姿で現れてくる、という抽象的な文章だけを読んでも、理解は難しいかもしれない。たとえば眠ると夢を見るということを例に挙げればよくわかるだろう。


(2017-03-29 作成 11-05 更新 蛭川立

*1:It is that our normal waking consciousness, rational consciousness as we call it, is but one special type of consciousness, whilst all about it, parted from it by the filmiest of screens, there lie potential forms of consciousness entirely different. We may go through life without suspecting their existence; but apply the requisite stimulus, and at a touch they there in all their completeness, definite these of mentality which probably somewhere have their field of application and adaptation. No account of the universe in its totality can be final which leaves these other forms of consciousness quite disregarded. 1987, p349