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蛭川研究室

蛭川研究室の「はてなブログ」版です

タイでの出家

アジアの近代化と仏教原理主義

タイでは、仏教が国家的に信仰されている。このタイ仏教は、系統的には、原始仏教の流れをくむテーラヴァーダ仏教上座部仏教)である。しかし、大昔の仏教が形を変えずに連綿と受けつがれてきているわけではない。タイは、アジア諸国の中では、日本などと並んで、ヨーロッパ列強による植民地支配をまぬがれた数少ない国のひとつだ。近世の日本が外圧の脅威にさらされたとき、まず鎖国が行なわれ、キリスト教の信仰が禁じられた。さらに開国やむなしという状況になると、それまで幕府の背後に隠れていた天皇を前面に担ぎ出してヨーロッパ流の絶対王政へとリフォームし、土着信仰の寄せ集めを国家神道へと整備し、両者をセットにしてナショナリズムが強化されていった。

しかしタイは同じような状況下で、民族宗教ではなくより普遍的な仏教を使って王制を強化する道を選んだ。その後日本は第二次大戦で敗北し、国家神道に支えられた神聖王権のシステムを放棄することになるが、タイは今でも仏教王権を守り続けている。現代的なビルが立ち並ぶバンコクのショッピングセンターでも、国王賛歌が流れはじめると、人々はいっせいに動きを止め、しばし直立不動の姿勢をとらなくては(とるふりをしなくては)ならない。家々には王様や高僧の写真がうやうやしく飾られていて、人々の王室と仏教に対する尊敬の念の篤さには驚かされる。

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 タイ仏教の総本山、バンコクのプラ・ケーオ寺

カンボジアアンコールワットや、インドネシアのボロブドゥールなどの、濃密な浮き彫りで埋め尽くされた寺院の遺跡からもうかがえるように、中世以前の東南アジア仏教はむしろ密教色の強いものであり、土着の呪術的要素も多分に内包したものだった。スリランカ経由で東南アジアに上座部仏教が伝わったのは意外に新しく、13世紀になってからのことである。現在のタイ仏教原理主義的な民族主義の台頭の中で、いったん近代化を経て成立したものなのだ。

19世紀、のちに国王ラーマ四世となる仏教僧モンクット親王は、ヨーロッパからやってくる宣教師たちの活動を横目で見ながら、これに対抗すべく、タマユット運動という原理主義的な仏教改革に着手する。パーリ語の原始仏典が再研究され、戒律が強化された。英明なモンクット親王には、西洋人たちが持ってくるすぐれた科学技術とキリスト教の教えは矛盾するもののように思えた。キリスト教の宣教師たちは、タイ人の宗教を原始的な迷信であると見下しているが、それは仏教本来の姿ではない。タイ人の仏教仏教本来の姿に回復させれば、むしろ聖書のような迷信めいた神話よりもはるかに近代科学に合致した思想になるはずだ。こうして、タイ仏教は、本来の仏教以上に、ほとんど宗教とはいえないような、無神論的ともいえるほど合理的に洗練された体系に作り変えられたのである。

タイの一時僧制度

タイでは、男が出家して僧侶になるのはふつうのことだ。出家といっても、一生の覚悟でいままでの人生をすべて捨てるというようなことではない。戒律を厳守して暮らすのは大変なことだが、それが守れないようなら還俗すればいいし、その後また僧侶に戻りたければ、また出家すればいい。僧俗の往復が自由にできる、じつに合理的なシステムである。とくに若い男性の一時的な出家は一種の通過儀礼のようなもので、それを経験すると、彼に対する世間の評価はがぜん高くなる。就職や結婚に有利になるからと、不純な動機で箔をつけに寺に入る若者も少なくない。その期間は、ふつう三ヶ月だが、一週間で、いや中には三日で帰ってきてしまう人もいるという。それでも、やらないよりはましだと考えられている。


 チェンマイのラム・プン寺

また、いくつかの寺院は外国人にも門戸を開いており、仏教好きの西洋人たちのほかに、台湾や韓国などからも修行希望者が集まってくる。わざわざタイまで来て寺に籠もろうなどと考える日本人は少ないが、私も北タイのチェンマイのラムプン寺 Wat Ram Poen で見習い僧生活を少しだけ経験したことがある。

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 ラム・プン寺にて、托鉢に出かける僧たち

先輩僧に、寺の外の小川まで連れて行かれ、手際よく髪を剃り落としてもらう。ばっさりと落ちた髪が水に流れていく。重金属のように髪に溜まっていた煩悩のすべてが川に流れていってしまったような、坊主頭のすがすがしさ。

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 剃髪状態の自撮り

最初に行なわれるのは、受戒、つまりアーチャーン(阿闍梨)から戒律を授かる儀式だ。正式な僧になるための戒律は227を数えるが、サーマネーン(サーマネーラ)と呼ばれる未成年の見習いの場合はとりあえず10でよく、外人の見習い希望者もこれに準ずる。その最低限守るべき重要な戒律とは、以下の10箇条である。

 1 殺さない
 2 盗まない
 3 性的な行為をしない
 4 嘘をつかない
 5 酒を飲まない
 6 午後に食事をしない
 7 歌、踊りなどの娯楽をしない
 8 装身具、香水などで身を飾らない
 9 快適なベッドで寝ない
 10 金銭を受け取らない

これを遵守することをアーチャーンに対してパーリ語で宣言する。上位5項目はふだんから在家信者も守らなければならない。ただし、「正しい」性行為は認められる。

そしていちばん大事なのは、三宝、つまり仏法僧への帰依。「プッターン、サラナン、カッチャーミー」(跪いて合掌し、身を投げ出して額を床につける)「タンマーン、サラナン、カッチャーミー」(拝礼繰り返し)「サンカーン、サラナン、カッチャーミー」(拝礼繰り返し)。つまり、教祖と教義と教団に従うという意思表示である。

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 ラム・プン寺の僧院

タイの僧院では、僧侶は一人ずつ小さな個室で生活する。とくに集中的な瞑想修行中は、他人と話をすることも禁止される。他人との交わりを絶ち、外部での出来事に気をとられずに、ただ自分自身の感覚だけに集中するためだ。日本の寺で修行というと、孤独に自己を見つめるというよりは、むしろいかに規律正しい集団生活の中で根性を鍛えるかという、体育会の合宿か軍隊の訓練かといった色彩が強いのだが、タイの仏教はずっと個人主義的だ。たしかに戒律は厳しいが、それはあくまでも個人の心の持ちようの問題であって、日本の寺のように、作法というか外側の形式にはあまりこだわらない。たとえば瞑想をするにしても、めいめいが好きな場所で自由に瞑想にふけることができる。屋外の木陰で座りたければそれでもよし、講堂の仏像の前で座りたければそれでもよしである。

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 僧院の個室。たまたま一号室が割り当てられた

食事は早朝と昼前の二食しかない。正午以降、就寝までは水だけ。これは慣れないとかなり厳しい。とくに夜は空腹で眠れなくなることもある。一日の日課が終わるのは夜の十時なのだが、ベッドは木の寝台に粗末な毛布二枚で、身体も痛くてよく眠れない。枕はないから、坊主頭がとくに痛い。それでまた翌朝は四時の鐘で起こされるのだからたまらない。睡眠時間は初心者で六時間、慣れてくると四時間ぐらいにするのが良しとされる。達人はついに睡眠時間が不要になるという話も聞いたが、そこまでは本当かどうかわからない。

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 僧院の個室の質素な寝台

そんな禁欲生活だが、やがて日が経つにつれ、眠気や空腹感が麻痺してきて、本当はひどく寝不足で空腹なはずなのに、徐々に何も感じなくなってくる。それと並行して、瞑想中に不思議な感覚に襲われるようになる。戒律によって睡眠や食事を制限していくことには、じっさいに意識の状態を変えるような、ある種の生理的な変化を引きおこす作用がある。

宗教とルサンチマン

ニーチェは、宗教の泉源に怨恨(ルサンチマン)が存在すると考えた。たとえば、失恋した男が寺に逃げ込んで僧になる。そこでは性的な禁欲が美徳になっている。世俗の世界の論理では、女と性的な関係をうまく持てる男が「勝ち」であり、それができない男は「負け」である。そこでその外部に、別のルールが支配する世界をつくってしまう。そこでは、性的な禁欲ができる男がすぐれた男であり、それができない男は敗者となる。ルールが反転し、敗者はいつのまにか勝者になれる。もてない男だけではない。食べ物が満足に食べられない人、快適なベッドで寝られない人、等々も同様である。しかし、そういう発想はとても不健全ではないのか、と問題提起したのがニーチェだった。宗教的な道徳のたぐいは、逆に生命力の発露や社会の進歩を妨げるようなものではないのか。

ヴェーバーはこれに反論を試みる。たしかに、宗教的な道徳が広まっていく過程で怨恨(ルサンチマン)が原動力になることはあるだろう。しかし、禁欲的な戒律じたいの起源を怨恨(ルサンチマン)に求めるのはまったくの誤りだという。性、睡眠、食事などを禁欲することにはそれじたいに積極的な意味がある。それは向精神性植物の服用や性的なオルギアや踊り狂うことと同様に、脳に生理的な変化を引き起こす。それによって人間はある超日常的な心的状態に到達することができる。その彼岸的な意識状態こそ、宗教的救済の根本なのだ。

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 ラム・プン寺の図書

自己の消滅あるいは魔境

ラム・プン寺で集中的な瞑想修行に入ってから、わずか五日目のことである。夜、僧院の、だれもいない図書館の二階で、ひとり座って瞑想をしているうちに、いつものようにうとうとしてしまい、出るはずのない夕食の夢を見た。目の前にグリーンカレーや春雨サラダなどのごちそうがずらりと並んでいた。僧院生活では、食事が制限されるせいか、食べ物の夢をよく見る。夕食など出るはずがないから、これは夢だ。そう思ったら目が覚めた。目が覚めてみると、夢を見ているのか起きているのか、その中間のような奇妙な状態の中にいた。意識は明晰でまったく正常である反面、なにかが普通ではなかった。身体が内側からじわじわと暖かくなってきて、非常に平穏な気持ちよさが全身を満たす。呼吸はゆっくりになり、ほとんど止まりそうになっていた。あれほど悩まされた雑念が、激減している。いろいろなことを、考えようとしても考えられない、というか、いろいろなことがよくわからなくなって、思い出せないのだ。ためしにがんばって思い出そうとしても、身近な人たちの名前や、そもそも自分自身の名前や、自分がどこそこの大学に勤めていることなど、そういう自明なことが、おぼろげにしか思い出せない。自分がどこにいるのかもよくわからなくて、ここがタイのチェンマイの郊外の山寺だ、ということを思い出すのに、いちいち時間がかかった。

瞑想中に湧いてくる雑念の多くは、過去の記憶や未来の予想と関係した後悔や不安である。しかし、こうなってしまうと雑念も湧いてきようがない。いま自分がここに座っていて、呼吸をしているということだけしか確実ではなくなる。自分がヒルカワという氏族の名前でしるしづけられた存在で、昨日、今日、明日と連続して存在し続けるという枠組みが消えてしまうことが、なにやらとても身軽で幸福だった。

「自己」は空間的にはある有限な広がりをもっている。ここより内側は自分で、ここより外側は自分ではないという境界線に包まれていて、その内部の領域に、これが自分だと同一化している。また時間的には、たとえ睡眠によって途切れていても、その自分にヒルカワタツとかテンジンギャンツォとかメアリースミスとかいう名前をつけて、昨日の自分と今日の自分は同じであり、また明日も同じ自分が続くだろうというような一貫性を想定する。しかし、自分の名前が*消えて*しまうと、こういう一貫性の根拠も消えてしまうような気がした。

ふつうは十分も座っているとすぐ足が痛くなってそちらに気を取られてしまうのだが、このときは二時間も三時間も座り続けてもほとんど痛みを感じなかった。雨季は蚊が多く、蚊に刺されてかゆいのも悩みなのだが、このときはいくら刺されても、かゆみもまったく感じなくなっていた。大量の蚊に刺されて身体が丸々と腫れ上がっても、座りっぱなしで足が腐っても、なお平然と瞑想を続けていたという達磨さんの気持ちが少しだけ理解できたような気がした。妙にうれしくなって図書館を出て、夜の境内をゆっくりと歩いた。黄色い蝋燭の黄色い炎に黄色く照らされた、黄色い布をまとった黄色い仏像と目が合った。その黄色い仏像の前に座ると、黄色い仏像が話しかけてきた(ような気がした)。「Tu puedes(君にはできるよ)」。いきなりインド人がスペイン語で話すとは驚いた。黄色い仏像の黄色い光に包まれて、就寝時間までずっと座り続けた。

臨床医学の現場で使われる意識レベルの判定基準に、JCS(Japan Coma Scale)というものがある。「ここはどこ? わたしはだれ?」のように、自分の名前や居場所がよくわからなくなってしまうとレベルⅠの軽い意識障害とみなされ、さらにレベルⅡ、レベルⅢの昏睡状態になっているかどうかを判定する場合、痛みに対して反応するかどうかが重要な判定基準になる。この基準だけでみると、いま書いたような体験はほとんど昏睡状態と判定されてしまいそうだ。しかし同時に、観察する意識はまったく清明だった。JCSのような意識レベルのスケールでは、自我意識の働きだけが問題にされていて、観察する意識という次元が考慮されていない。臨死体験をしている人も、端からみていると昏睡状態だったり死んでいたり(!)するのだが、当人の観察する意識のほうはまったく清明な状態にあるのだ。

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 図書館の内部

翌日の夕方、日に一回だけあるアチャーン(老師)との問答の時間に、前夜の体験をやや興奮しながら報告した。
 「その体験はサバイ(気持ちいい)ものだったのかな?」
 「はい、非常にサバイものでした。でもそれは非常に穏やかで、静かで……」
 「ああ、ハイ、ハイ、……」
 「それで、このような体験は瞑想の正しい結果なのでしょうか? それとも……」
こちらは真剣に話しているのに、アチャーンは人の話を半分ぐらいしか聞いていないというか、聞き流しているようだった。
 「どんなことが起こっても、ただ観察しなさい。いい体験でも、悪い体験でも、ただ観察すること」
アチャーンの答えはそれだけだった。秘書兼通訳のおしゃべりなメー・チー(尼)さんが補足してくれた。
 「サマティーな体験(タイではエクスタティックな意識状態を総称して、なんとなくこういう)は、とても気持ちのよいものです。あなたは今、自分が山の頂上にいるような気分になっているかもしれません。でも、それに執着して、深追いしてはいけません。ただ観ることです。毎日毎日観つづけることです。そうすれば最初から山なんかなかったんだということがわかってくるでしょう。ただ観つづけること。ウィパッサナーとはそういうことです」
瞑想の初心者にはこういう不思議な体験が起こることは多いらしく、あまりこだわって振り回されてはいけないらしい。禅の言葉でいえば、魔境である。タイ仏教も禅と同様、ヴィパッサナー的なものを重視し、サマタ的なものはあまり重視しない。じっさい、その後の日々、いくら瞑想を続けても、同じような不思議な体験は起こらなかった。

「サマティー」の状態に長くとどまることは、気持ちはいいかもしれないが、つまるところ、生物としての生存を放棄するということを意味している。お釈迦さんのように、中道を歩み、後世の人々に教えを伝えた覚者はむしろ例外で、じっさいには、ヒマラヤの山奥で一人で洞窟にこもって究極の意識状態を体験し、そのまま人知れず死んでいった行者がたくさんいたに違いない。それで本人たちは至福だったのかもしれないが、いっぽうでこの世で生きるということを考えると、たとえ一度は究極的な状態かそれに近い状態を体験したとしても、その後は、どのようにしてこちらの世界に戻ってくるのかが大きな課題になる。

蛭川立彼岸の時間』87-92、119-123頁より改変

(写真はすべて出家前、還俗後に撮影したものである)

(2016-11-29 作成 蛭川立