蛭川研究室

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変性意識体験と性的欲動

修道女の恍惚体験

宗教的な変性意識体験は、しばしば性的な色彩を帯びる。たとえば、中世ヨーロッパの修道女の霊的体験は、神やその子であるキリストとの合一感によって表現される。ベルニーニの『聖テレジアの法悦』[*1]

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のモデルになった、16世紀スペインの修道女、アビラの聖テレサは、その神秘体験を以下のように書き残している。

私は金の長い矢を手にした天使を見ました。その矢の先に少し火がついていたように思われます。彼は、時々それを私の心臓を通して臓腑にまで差し込みました。そして矢を抜く時、いっしょに私の臓腑も持ち去ったかのようで、私を神の大いなる愛にすっかり燃え上がらせて行きました。痛みは激しくて、先に申しましたあのうめき声を私に発しさせました。しかし、この苦しみのもたらす快さはあまりにも強度なので、霊魂は、もうこの苦しみが終わることも欲まなければ、神以下のもので満足することも欲しません。これは肉体的な苦しみではありません。霊的のものです。とはいえ、肉体もいくぶん、時には相当多くさえ、これにあずかります。これは神と霊魂との間のきわめて快い愛の交換で、私は、私の言葉に信をおかぬ人々に、このお恵みを味あわせてくださるよう、主の御憐れみに切願しております。[*2]

精神分析

異なる宗教的伝統、たとえばハタ・ヨーガでは、体幹の下部に眠る「性」の力を上昇させ、「聖」の力に変容させると考える。いっぽう、精神分析は、宗教的な体験や観念を、一種の病理的な現象と見なす。霊的な法悦感は、リビード libido、性的欲動、あるいは性的なオルガスムス Orgasmus の倒錯した形態だと考える。それは(主に男性が)近親相姦的欲動によって、母親の乳房に吸い付いて一体化してたとき、さらには子宮内にいたときの大洋的な一体感へと退行した状態だとされる。

進化心理学的アプローチ

生物進化の過程で新しい機能が獲得される場合、何もなかったところから新たな器官が形成されるのではなく、すでにあったものが転用される場合が多い。たとえば鳥の翼は背中から生えてきたものではなく、前肢から進化したものである。これと同様に、神秘体験を引き起こす脳の部位、とりわけ側頭葉から大脳辺縁系、海馬に至る部位も、もともと性的な快感と関係する部位であったものが、派生して神秘体験を引き起こす部位になったという仮説がある[*3]。

こうして考えると、宗教的な観念と精神分析の解釈は必ずしも矛盾しない。仮に宗教や芸術が精神病理から生じていたとしても、だからといって宗教や芸術自体に価値がないことにはならない。鳥の翼は前肢がたまたま変形したものにすぎなかったとしても、実際に鳥はそれによって空を飛べるようになったからである。


(2009/2552-06-19 作成 2016/2559-11-09 更新 蛭川立

*1:ベルニーニ『聖テレジアの法悦』 ( G. L. Bernini 1647-1652 Estasi di santa Teresa d'Avila Chiesa di Santa Maria della Vittoria, Roma )2013年8月、蛭川立、ローマにて撮影

*2:東京女子カルメル会訳(1960)『イエズスの聖テレジア自叙伝』、359-360頁

*3:ニューバーグ他(2003)