蛭川研究室

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茶名「芳立」の由来

魂の勉強

 「んー、お公家さんですね」エミコさんは私の顔をじっと覗き込んだ。いや、彼女の視線は、私の斜め後方にフォーカスしている。「お公家さん。武士じゃないですね?貴族。花園天皇の近くにおられた方です」。そう断言した。

 糸満で美容師をしているエミコさんは、地元で生まれ育った人ではない。本土から嫁いできた人である。そういう理由もあってか、本土の歴史や文化にも詳しい。沖縄に移り住んできてから、精神的に不安定になった時期を経て、いわゆるユタになったという。当時は、この業界ではまだ若く、学研の『ムー』などにもこまめに目を通し、精神世界についての最新情報にも明るい、新世代のシャーマンの一人だった。

 そんなエミコさんに話を聞きたくて来たのだが、話の都合上、やはり何か悩み事を相談しなければならない。健康上の問題がわかりやすい。どこが悪いのかと聞かれても、頭が悪いのだとしか答えられない。ひ弱な割には、首から下には具体的な病気がない。まずは、幼少時から悩まされている偏頭痛のことについて聞いてみた。これは、体質のような慢性疾患で、いまの医学では治療する方法がない。対症療法としては、鎮痛剤を飲むしかないのだが、私の場合、なぜか鎮痛剤も効かない。吐き気を伴う痛みが過ぎ去るのを、布団の中で、ただ何時間も耐えるしかない。持病としては軽度の躁うつ病もあったのかもしれないが、とくに軽躁状態の時は具合がよく、病識というものがはっきりしていなかったように思う。

 現代の医学では治せないもの、それがシャーマニズムの得意とする領域である。エミコさんの考えによると、病気というのは先祖からの知らせだという。これは、彼女のオリジナルではなく、沖縄では一般に共有されている観念である。身体の下のほうに来る病気は、比較的近い祖先霊からの、比較的具体的な要求である。たいがいは、拝み不足(ウグァンブスク)、つまり、もっと構って欲しいという要求だから、それは供養の補充によって解決される。

 しかし、身体の上の方に来る病気ほど、より古い祖先からの知らせだという。とくに、脳の病気は、かなり古い先祖からのお告げであり、その要求も、もっと高尚なものになる。私の偏頭痛については、二十四代前の祖先が、「魂の勉強」をするようにと、知らせてきているのだという。そのとおりに「魂の勉強」をしないと、病気は悪化するという。ようするに、ユタ=シャーマンになるべきだ、ということである。それがエミコさんの見立てだった。

 もちろん、そんなつもりはない。私は、本当は、研究のために話を聞きに来ているのであって、べつに、シャーマンになりたくて来ているのではない。大学院生だった当時、心理学に興味がわき、学び始めていたのは事実である。心理学とは英語ではサイコロジーで、元を辿ればギリシア語の「プシュケー」「ロゴス」、つまり「魂」を「論理」するという意味から来ているなどと、私は馬鹿丁寧に説明した。エミコさんは、理屈では説き伏せられながらも、実際には釈然としない様子だった、というよりも、彼女が交信している、私の二十四代前の先祖にとって、釈然としなかったのだろう。

 私は、自分では、研究のためにエミコさんのところに話を聞きに来たのだと勘違いしているが、実際には、二十四代前の先祖からのメッセージを受け取るために、自分でも気づかないうちに「歩かされて」エミコさんのところまで来た。他のユタさんたちのところも、那覇沖宮や、斎場御嶽をはじめ、各地のウタキも巡った。そして、本人は「歩かされて」いることに気づかないか、気づかせようとしても認めたがらず、抵抗する、それが沖縄流の考えである。

 オウム世代の、世間知らずの理系エリートだった私のことであるから、その時点では、お恥ずかしながら、花園天皇とは、いつの時代の、何をした人なのかも知らなかった。しかし、四則演算ぐらいの心得はあった。調べてみると、花園天皇とはおよそ七百年前の人だというから、これを24で割れば、平均で二十代後半で子を産み続ければ、なんとか計算には合う。

 その後、シャーマニズム的極彩色の世界に疲れ、その魑魅魍魎の体験世界を整理するには、もっと体系的な哲学が必要だと考えるようになっていった。とりわけ禅仏教の枯れた思想、あるいは「京都学派」の哲学の中に、幾ばくかの答えがあると考え始めたころに、花園大学国際禅学研究所の客員研究員として招聘され、ふたたび洛中に入ったのは、西暦で2005年の春である。大学院の途中で京大を去ってから、十二年が経っていた。花園大学社会福祉学部教授で、精神科医でもある安藤治先生が、瞑想を、不安やうつを軽減させるための心理療法に応用できないかという研究を始めていた。しかし坐禅は敷居が高い。私がタイで学んできたヴィパッサナー瞑想が参考になるのではないかと、そういう話だった。今風にいえば、マインドフルネス認知行動療法というものの走りだった。

 二十四代前のご先祖様は、やっと、人助けのための「魂の勉強」をしに来たか、と思ったかどうか。彼が誰なのかも、よくわからないままである。千本丸太町の「平安京大極殿跡」にも行ってみたが、今は石碑が建っているだけだし、とくに何かを思い出すような感じもなかった。京大にいたころには、街の西の方には用事も興味もないので、ほとんど行かなかった。妙心寺では、とりあえず西田幾多郎のお墓に頭を下げておいた。偏頭痛の発作は、歳をとるごとに頻度が減り、症状も軽くなってきている。加齢によって自然におさまる、そういう病気なのだが。

(第二部「芳ばしい人」に続く)

(2016/2559-07-12 作成 蛭川立