蛭川研究室

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勤勉と強迫の文化

 (熊本城が地震でダメージを受けたが、大きな倒壊は起こらなかったらしい。犠牲になった人々に哀悼の意を表し、困難に遭っている皆さんを励ましたいと同時に、地震単独では被害が小さい、日本の建築が優れていることについて再考している。)

 あまり関係ないことのようだが、15年前、西暦2001年のペルー大統領選挙で、ケチュア系のアレハンドロ・トレドは、現職のアルベルト・フジモリを破って、先住民系初の大統領となった。先住民系だからというよりも、アメリカ仕込みの経済政策が評価されたという。

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(「変革のために投票しよう」「トレド」「もっと雇用を」ロレト県イキトス市)

 日系(熊本系)のフジモリが大統領になったときのスローガンは、「正直・勤勉・テクノロジー(honradez, tecnología y trabajo)」だった。この言葉は、ペルー社会における日系人のイメージを象徴している。あたかも、他の一般ペルー国民が「嘘つき」で「怠け者」で「ローテク」であるのを、あざけ笑うかのようでもある。

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(西暦2000年の大統領選挙の時に、プカルパ県、サン・フランシスコ先住民共同体にやってきたフジモリ候補の選挙船)(政治活動の撮影には、十分注意しましょう)

 しかし、この言葉が、かつてのインカ帝国のスローガンからの借用である事実を知れば、皮肉なことにフジモリは、その勤勉さによって帝国を築き上げたケチュア系民族に敗北したということになる。顔つきだけではなく、ケチュア系先住民と日本人には、そのパーソナリティにおいても似たところがある。ケチュア人はコカインを愛し、日本人はメタ・アンフェタミンを愛してきた民族である。中井久夫は『分裂病と人類』の中で、「原始人」とみなされるニューギニア高地民族の、整然とした段々畑を、狩猟採集民の分裂病的性向とは明確に区別し、「強迫神経症」と評した。インカ時代につくられ、あまたの地震を耐え抜いてきた建築群の、徹底的な機能美にも、同じ時代に作られた、同じく地震の多い日本の城石垣を上回る「ハイテク」な強迫性がみられる。(アンデス産の特筆すべき薬草には「マカ」がある。テストステロン値を上げるという謳い文句が本当かどうかはともかく、テストステロン値を増大させることが望まれる社会が、決して温和な社会ではあるまい。)

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 上の写真は、クスコにある、インカ時代の太陽の神殿の遺構である。スペイン人征服者たちは、実際的には材料の不足を補うため、また何よりも象徴的な征服という意味で、先住民の神殿を破壊し、その上に教会を建てた。しかし、皮肉なことに、大地震があるたびに、上に建てられた教会は倒壊し、土台として使われた先住民の神殿跡は残ったという。

 インカ帝国においては、重罪人は、サソリの入った牢獄に放り込まれたという。じっさい、マチュ・ピチュ遺跡では、やはり整然とした段々畑に加えて、殺人犯や強盗、そして「怠け者」が放り込まれたという、牢獄の遺構を見ることができる。勤勉は美徳だ。しかし、「怠け者」は殺人者と同じぐらいの重罪なのだろうか。

 いっぽう、コカではなくアヤワスカー現世的な「経済発展」には結びつかない薬草ーを大事にしてきたアマゾンの先住民は、決して遅れた未開民族なのではない。その種の発展を、積極的に避けてきたのだ、とは、ピエール・クラストルの見解である。彼は主にブラジル南東部の先住民、グアラニの文化を研究した。クラストルは、アンデス/アマゾンという、安易な図式化を戒めているが、同じ先住民の文化の違いを理解する上では、役に立つ一次近似である。

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(無理を承知で強引に図式化した、ペルー先住民の地理的/心理的概念図)

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 上の写真は、ペルー・アマゾン先住民、シピボの人々の、日常的な生活のひとコマである。「家内」は女の領分であり、畑での生産労働、再生産労働(子を産み育てること)、料理や洗濯などの家事労働、そして現金収入のための民芸品作りは、女性の仕事とされる。女性がせっせと民芸品作りに精を出し、男性たちはそれを取り巻くように、お喋りをしながら、ぶらぶらしている。情けない姿に見えるが、これはその社会の持つ余裕であり、豊かさでもある。

 かつて戦争は、男にとっての、もっとも重要な「仕事」だった。アマゾンの先住民は、しばしば獰猛な「首狩族」だと見なされてきた。ミッションが野蛮な習慣を止めさせるまでは、彼らはたしかに好戦的な人々であった。しかし、彼らの「戦争」というのは、一人の女をめぐる二人の男の争いなど、かなり個人的な理由によっており、少数の犠牲を出して短期間で終わってしまうものだった。そしてそれは、西欧近代が生み出したロマンティックな決闘というよりは、、他人よりも良いものを、他人よりも多くのものを所有することを許さないという意味での妬みに起因するものであった。嫉妬による際限のない小さな争いが「帝国」の出現を抑制していたともいえる。そして、何万人という人間が「民族」や「国家」という大義のために団結し、何年間も苦しみを共にしながら戦い続るためには、個人的な感情をはるかに超えた、とてつもない「勤勉さ」が求められるのである。日本人がメタアンフェタミンの合成に成功した背景には、こうした必要性が存在していた。

 R・ヘイムズは「文明の進歩は労働時間を減少させるか?」(Current Anthropology)という論文の中で、アマゾンの焼畑農耕民シピボ、ママインデ、ワヤナ、ヤノマミ、ヤノマモ、イエクワナ、メクラノティ、マチゲンガ、アチュアラ、ワヤナの10民族で調査された労働時間を集計して、その平均値を計算している。それによると、一日あたりの平均労働時間は、女性のほうがやや長いが、共に約5時間だという。これは、狩猟採集民、集約農耕民、および現代の賃労働者と比べて最短である。労働時間の短さは、それだけの時間働けば食べていけるということを意味しており、それはまたその社会が持っている時間的余裕、ある種の豊かさを表している。ヘイムズはアマゾンの先住民こそ世界でもっとも時間的に豊かな人々であると結論している。逆に、もっとも時間的に貧しいのは、もっとも「文明化」された現代の賃労働者か集約農耕民かのどちらかだということになる。(ヘイムズがまとめた労働時間の一覧表はこちら

 雇用の創出は、当座の重要課題である。しかし、我々は、実際、何のために働くのだろうか。「コンピュータの進歩によって雇用が奪われる」などと語られる現代こそ、社会は本当の意味での変革を求められている。私が子どもだったころは、21世紀にはコンピュータが人間の能力を超える、だから人間は働かなくてもよくなる、という、可笑しな夢を胸に抱いていたものだった。いったい、どの政治家が、こうした「経済政策」を考えているのだろう。


(2016/2559-07-05 作成 07-23 更新 蛭川立