起源神話における時間対称性の破れ

楽園追放

 地球上で最もよく知られるようになった起源神話は、『聖書』の「創世記」であろう。創造神に「食べてはいけない」と指定された果実を食べてしまう、という出来事をきっかけに、人間は分別知を得るが、その代償として、人間は、農耕を行わなければ生きられなくなり、寿命は有限になり、衣類を着るようになる。こうした起源神話は、古代のヘブライ文化だけではなく、様々な文化に普遍的にみられるものである。

 新しい時代になって西洋人によって「採集」された、無文字文化の神話の中には、西洋人自身が持ち込んだ、この古代ヘブライ的な神話が「混入」している可能性もあるが、神話の基本構造がヒトという種の情報処理に普遍的な、集合的無意識(普遍的無意識) Kollektive Unbewußte に由来するのだと考えれば、こうした「混入」は、本質的な問題にはならない。

やきもち焼きの土器作り

 一例として、レヴィ=ストロースが『やきもち焼きの土器作り La Potière Jalouse』の中で論じている、アマゾン上流域の先住民、ヒバロの神話をとりあげてみよう。

昔々、アオホという名の女が、二人の夫とともに暮らしていた。一人の名は太陽。もう一人の名は、月。アオホは温かい太陽に抱かれるのを好み、冷たい月を嫌うようになった。それを妬んだ月は、背の高いつる植物を伝って天に昇って行き、さらに太陽に息を吹きかけてその姿を消してしまった。

 二人の夫が続けて姿を消したことに狼狽したアオホは、土器を焼くための粘土を入れた籠をかかえ、自分もつる植物を伝って後を追っていこうとした。しかし、そのことに気づいた月は、縁を切るためにそのつる植物を切ってしまう。アオホは地面に墜落し、持っていた粘土は地面にばらまかれた。太陽と月は天体に姿を変え、アオホはヨタカ、つまりヒバロ語でアオホと呼ばれる鳥に姿を変えた。

 太陽と月が同じ空で輝かないのも、ヨタカが悲しげな鳴き声で鳴くのも、地面のあちこちで土器を焼くための粘土がとれるのも、このような出来事のゆえである。

 (蛭川立「始原の神話時間」『風の旅人』41, pp. 19-22.)

 これは、婚姻規則の起源(漢字の意味とは裏腹に、一夫多妻が可で、一妻多夫が不可なのは、男は女よりも、より嫉妬深いからとされる)と、土器の起源を語る神話である。「土器を焼く/料理を作る」こと(及び、良い粘土がある場所を秘密にしている他の女に対して「妬く」こと)は、いずれも女の領分であり、火の作用によって「軟らかいものが固くなる/固いものが軟らかくなる」。この物語では、粘土が地上にもたらされた代償として、天と地をつないでいたつる植物が断ち切られてしまう。

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(アマゾン上流域先住民シピボの土器作り。本文とは直接関係ありません。)

神話における時間対称性の破れ

 神話は繰り返し、自然状態にあった人間がいかにして文化を獲得したか、そして、そのためにどのような代償を支払わなければならなかったのか、ということを語る。それは、一方では文化を獲得するという進歩の物語であると同時に、しばしば失われた自然への郷愁 saudade の響きも含む。西洋文明が発達させてきた物理学的宇宙論 cosmology においても、この、初期の世界における不可逆的な対称性の破れというテーマが繰り返し現れる。

 西洋文明の物理学者/天文学者たちは、巨大な加速器/望遠鏡を作って、対称性が破れる以前の、始原の世界を再現/観測しようという、狂おしい努力を続けている。『聖書』を物理的な時間軸で解釈する原理主義 fundamentalism は、人間が原罪 sin を悔い改めれば、無限の寿命が再来するとする。しかし、失われた過去の楽園からの追放という出来事は、物理的時間軸上で起こったことではなく、神話的時間軸上の出来事である。だからといって、神話に書かれたことは虚偽の歴史であって、無意味だ、というのではない。物理的な世界も、神話的な世界も、どちらもリアルなものである。(ただし、潔癖な原理主義的宗教運動が、その教義の妥当性とは別に、堕落しがちな既存の宗教的権威に対する批判的浄化作用を持ち、民族的差別や家庭内不和などに苦しむ人々にとっての救済の物語を提供していることは、それもまた神話の文化的意味として積極的に捉えたい。)

「霊的な」つる植物

 しばしばアマゾン上流域の神話にあらわれる「つる植物」は、もちろん、物理的物質でできたつる植物ではなく、いわば神話的な時空の中の、「霊的な」つる植物である。日本語で「つる植物」と訳されるのは、インカ帝国の影響によって南米北西部の共通語となったケチュア語では「ワスカ huasca」という言葉で指し示される植物群のことで、正確には翻訳不能な概念であるため、どうしても「つる植物」というぎこちない訳語を使うしかない。ともあれ、神話的時空に存在するのは、「霊的な」「つる植物」であり、ケチュア語では「アヤー ayar +ワスカ huasuca」=「アヤワスカ ayahuasca」となる。アヤワスカは、いわば神話的時空における、加速器/望遠鏡である。

 じっさい、アマゾン上流域には、アヤワスカ ayahuasca と呼ばれるつる植物が存在する。それは、Banisteriopsis caapiという植物のことでもあり、その蔓を煮出して作るお茶 o chá のことでもあり、さらにまたその茶の中に宿る精霊のことでもある。インカ帝国の後で支配者 conqustador の言語となったスペイン語でクランデーロ curandero/a (治療者)とも総称されるシャーマンたちは、茶会でこの精霊の力を得て、天と地の間を自由に行き来することができる。茶会は神話的時空への入り口であり、いったんそこに入ってしまえば、神話的時空は対称だから、切断される以前のつる植物の時代(オーストラリア英語風にいうなら、ドリームタイム dreamtime)に戻ることもできるし、その「霊的な」つる植物を伝って、天界と自由に行き来し、「霊的な」太陽や月たちと語り合うこともできる。そこは、植物も人間も太陽も月も対等な関係にある、失われた、しかし戻ろうと思えば、いつでも戻れる、楽園である。霊的な薬草の作用によって、神話的時間は対称性を取り戻し、原罪以前の楽園へと戻ることができる。

 神経科学的にみると、アヤワスカの有効成分はDMTという、インドール核を持つ典型的なサイケデリックス psychedelics(エンテオゲン entheogen)である。これは、5-HT2A受容体のアゴニストであり、セロトニン作動性ニューロンに働きかけ、何らかの形で、直線的な時間認知を抑制する作用があると考えられる。過去・現在・未来という順を追った認知が抑制されると、現在が永遠であるような感覚が引き起こされる。人は、物理的には有限の時間を生きるが、霊的には永遠の生命を生きるのである。

 こうした茶会に参加できるのは、クランデーロだけの特権ではない。アマゾン上流域の社会では、一般にこのような茶会には、クライアントも含めて、誰でも参加できるという雰囲気があり、これを、ヒバロ社会を調査したマイケル・ハーナーは「霊的民主主義 spiritsual democracy」と呼んでいる。

 おそらく従来の構造主義的な神話学に、足りないところがあるとすれば、このような「霊的な」茶会への参与観察であったといえる。神話や宗教に関心を持ち、研究しているどんな人にも、神話的時空に来たことがありますか、と聞きたい。もし、来たことがない、というのなら、ぜひお茶を一服どうぞ、と言いたい。もし、もう来たことがある、という人にも、ならばお茶を一服どうぞ、と言いたい。そもそも、どうして来たことがあるのかとか、ないのかとか、そんなことを聞くのかと訝る人がいるのなら、その人にも、まずはお茶を一服どうぞ、と言いたい。

(参考→「アマゾン先住民シピボのシャーマニズム」)


(2006/2549-11-13 作成 2016/2559-06-27 更新 蛭川立