蛭川研究室

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邪術がもたらす均衡

出る杭は打たれる

 キリスト教暦で2001年の9月11日、ニューヨークのワールドトレードセンターが、乗っ取られた飛行機による自爆テロで崩れ落ちた。21世紀の始まりを象徴するかのような不気味な事件だった。この日僕はアマゾン上流のとある町に滞在していたのだが、最初は情報が断片的で何が起こったのかよくわからなかった。日本がまたアメリカと戦争を始めたらしい、というデマまで飛び交う始末だった。たしかに、屋台のスポーツ新聞を見ると、「第二の真珠湾!」などという見出しが踊っている。日本にいるときのほうがテレビも新聞もほとんど見ないのだが、さすがにこのときだけは新聞や雑誌を買いあさり、テレビの画面にくぎ付けになった。
 アメリカ的近代主義では個人が自由に競争することがよしとされ、勝ったものは賞賛される。フェアでわかりやすい社会だ。その反面、能力の低い人や運の悪い人には厳しい社会でもある。勝った人には勝った人で、勝ちつづけなければならないというストレスがかかりつづける。勝った人間をねたんで引きずりおろそうという後ろ向きな考えは、アメリカ的ではない。とはいえ、広く地球規模で見れば、そういうルサンチマンで動いている社会は少なくない。そして、世界システムの勝者アメリカは、世界中からねたまれている。資本主義の勝者の象徴、ツインタワーが黒煙を上げて崩れ落ちる映像が何度も何度もブラウン管に映し出されるのを見るにつけ、「出る杭は打たれる」とはまさにこのことだと思った。
 アマゾン上流域には、シャーマニズム、とくにアヤワスカを求めて外国からたくさんのお客さんがやってくる。研究のためというよりはむしろ、自分たち自身が癒されたい、あるいは解放されたいと思ってやってくるのだ。日本人などのアジア系は少数で、やはりアメリカの白人が多い。アメリカ人以外では、ドイツ系、イギリス系、あるいはユダヤ系の人々が多い。同じ西洋人でも、地元に住んでいるスペイン系の人たちはあまり関心がないようだ。がんらい陽気なラテン系の人たちは、わざわざ大変な思いをして解放される必要などないのかもしれない。飛行機に乗ってはるばるやってきた西洋人たちがシャーマンの指導の下、神妙な顔をしてアヤワスカの儀式を執り行なっている、そのすぐとなりの家では、地元の子供たちがコカ・コーラを飲みながらテレビでポケモンドラゴンボールを観ているというような、奇妙なすれ違いが日常的な風景になってしまっている。こういうアヤワスカのセッションは単純なもので、民家でごくふつうに行なわれる。アヤワスカ一杯の値段は日本円にして千円ぐらいで、現地の物価からすればけっして安くはないが、はっきり相場が決まっているわけでもないし、がめつくボッタクろうという感じもしない。ただ持てるものが持たざるものに支払うのは当然といったふうである。アヤワスカの儀礼が観光用のパッケージツアーに含まれていることもある。たとえば、自称「シャーマン」のガイドで森を散策し、生態系と共生する先住民の〈聖なる〉知恵を学び、特別オプションとして、夜のヒーリングの秘儀で一杯百ドルのアヤワスカを飲む。そしてツアーに参加した外人観光客は、光と愛と平和の体験によって、日常のストレスを癒し、見失いかけていた本当の自分を再発見し、また家庭へ職場へと帰っていく。ときには一杯のアヤワスカが人生を変えてしまうこともある。そういうことなら、一杯百ドルという価格設定はけっして高いとはいえない。

アヤワスカの時代

 「先進国」でのサイケデリック・ハーブの歴史は、およそ三つの植物の時代に分けられる。最初に注目されたのがペヨーテで、一九世紀末には学名がつけられ、有効成分のメスカリンが分離された。A・アルトーの『ペヨーテ・ダンス』、A・ハクスリーの『知覚の扉』、そしてひょっとしたらサルトルの『嘔吐』も、彼らの、ペヨーテ=メスカリン体験から生み出された。ペヨーテ=メスカリンは、どちらかといえばヨーロッパの知識人の間で流行した。いっぽう、アメリカ合衆国では一九世紀末より、ネイティヴ・アメリカン・チャーチなどの、先住民のアイデンティティ回復運動と結びつき、ペヨーテ文化は原産地であるメキシコから北米へと広がっていった。
 「マジック・マッシュルーム」と、そこから分離されたシロシビンは、1960〜1970年代のサイケデリック黄金時代にLSDと並んで注目され、植物性サイケデリックスとしては「先進国」ではもっともポピュラーになった。「マジック・マッシュルーム」などというと怪しげだが、和名をシビレタケといい、日本はもちろん世界中に普通に生えている。しかしこのキノコを儀礼的に使用する伝統をもっているのは中米の先住民族だけだ。なかでも銀行家であり菌類学者でもあったG・ワッソンとLSDの生みの親A・ホフマンに見いだされたマサテコ族のクランデラ(女シャーマン)、マリア・サビーナは、一躍この時代のヒロインとなり、彼女の住むメキシコ・オアハカ州の小さな山村、ワウトラ・デ・ヒメーネスはヒッピーの巡礼地のひとつとなった。1985年に彼女が亡くなったあとは、シャーマン業は孫のガルシアさんが細々と引き継いでいるが、いまでは観光客がやってくることはほとんどなくなり、村はまた昔の静けさを取り戻している。
 「マジック・マッシュルーム」は1990年代以降本格的に広がりはじめた日本のサイケデリック・カルチャーの中でも中心的な役割を果たしたが、2002年には欧米の例に倣って非合法化された。
 そして三番目に注目されてきたのがアヤワスカである。1960年代に地上最強のサイケデリックス、ヤヘ(アヤワスカ)を求めて旅したW・バロウズがA・ギンズバーグと交わした書簡『ヤヘ・レターズ』によって、アヤワスカはヤヘ(英語訛はイェージュ)という名前で欧米のサブカルチャーの世界で知られるようになるが、じっさいにはむしろ1990年代に入ってから本格的に流行してきたようだ。熱帯雨林からやってきた神秘的なハーブというイメージが、「エコロジー」や「アーバン・シャーマニズム」の流行と重なって、人々の心をとらえたのかもしれない。2000年の3月にはサンフランシスコで、カリフォルニア統合学研究所(CIIS)が主催する、世界初のアヤワスカに関する国際会議、「アヤワスカ――アマゾンのシャーマニズム、科学、スピリチュアリティ」が開かれた。やはり集まってきたのはほとんどがユーロピアンアメリカンつまり白人で、研究者よりはむしろ、アヤワスカで私は人生の意味を知りました、というような体験者たちが大勢やってきて、各人のめくるめく体験談を熱っぽく語り合っていた。

邪術がもたらす均衡

 シピボの村のアヤワスカ儀礼で、ユダヤ系ブラジル人の放浪画家といっしょになったことがある。彼もまたアヤワスカの世界に魅せられた人の一人で、毎晩のようにあちこちの儀礼というか「飲み会」をハシゴしていた。一緒に「飲んだ」ときには、彼は、神がどうした罪がどうしたとややこしい理屈を口走りながら、バッド・トリップして苦しんでいた。周りのみんなが大丈夫かと声をかけると、彼は「いや、これは教訓なのだ。ありがとう。先住民族の知恵に感謝したい」といって必死に耐えていた。傍から見ていて、この人は大変な人だなあと思う反面、そういうバッドトリップ体験に共感できるところもあって、彼とはよい友達になった。
 ところで同じだけの量のアヤワスカを飲んでも、ウナヤ(シャーマン)はもちろん、シピボの人たちはあまりバッド・トリップというものをしないようだ。というかそもそもあまり派手な「酔い方」はしない。みな坦々としている。吐き気を催すといった生理的な反応は地元の人もお客さんもあまり変わらないようなのだが、内面的な体験はかなり違うようだ。「マリアシオン」と彼らが呼ぶ変容状態の中で、いろいろな精霊に出会い、ときにはおそろしい蛇やジャガーに遭遇することもあるらしいのだが、なんというか、自分自身の存在とか人生など、そういうものを内省的に考えさせられたという体験談をあまり聞かない。サイケデリック体験の核心は、極彩色のヴィジョンが見えるなどということではなく、狭い自我の崩壊と精神の拡大にあるのだが、どうやら地元の人たちは、崩壊させられるような硬い自我というものをはじめから持っていないようなのだ。逆にいうとユダヤ系やドイツ系や、あるいは一部の日本人というのは、化学的に強引に働きかけて壊さなければならないぐらい硬い自我を持っているのだろう。西洋人がサイケデリックスを摂ると、わざと羽目をはずして騒いでみたり、あるいはフリーセックスなどを主張したりするが、それはいわば近代的自我の影の部分なのだ。たとえばアマゾン先住民の社会はフリーセックスではないし、アヤワスカを飲んでも踊り狂ったりはしない。むしろ、西洋人の心の中に、たとえばフーコーがいうような意味で、性の解放、抑圧された本能の解放こそが人間の解放なのだ、というようなイデオロギーが埋め込まれていて、アヤワスカなどを飲むとそれが自動的に展開してくるだけなのではないだろうかと思いたくなる。
 僕が会った限り、アマゾンの先住民の人たちは総じてのんびりした感じで、大人でも子供みたいに素直な人が多くて、ちょっとシャイなところもあって、けっこう好感のもてる人たちではある。だからといって彼らが積極的にラブ&ピースな人たちなのかというと、そういうわけでもない。アマゾン上流域の先住民たちは伝統的にアヤワスカを飲み続けてきたが、彼らの社会ではつねに邪術(ブルヘリア)と戦争が絶えることがなかった。今でこそ戦争は国や教会によって禁止されているが、あいかわらず邪術は盛んだ。シピボの村で僕がホームステイしていた家は、外人を泊めてたくさんのお金を儲けているというので周囲の住人の嫉妬を買っていた。近所のユベ(邪術師)がその家にブラックマジックをかけていたということは後で知った。しかし嫉妬にもとづく邪術には社会的な均衡を保つという積極的な機能がある。その人がどんなに有能であっても、どんなに努力したとしても、特定の人に富が集中してはいけない。努力してたくさんの富を得ること自体は悪いことではないとしても、つぎには得た富を皆に気前よく分配しなければならない。シピボの村にはいちおう、村長さんのような人がいるが、ふつうのTシャツを着た、ヘラヘラした感じのじいさんで、なんだか頼りなさそうだ。しかし、こういう腰の低い人こそがリーダーとして適任とされるのだ。
 このような論理で富や権力の集中を嫌う社会は少なくない。「出る杭は打たれる」ということわざは、日本の社会にも同様の雰囲気が漂っていることを示している。インドネシアのバリも、シピボ社会と同じように邪術(「黒い」呪術)が盛んな社会である。お金持ちの家が盛大に葬式をやって財産を浪費するのは、一方では見栄と威信のゆえであり、他方では富の再分配という意味もある。富を浪費せずにため込むことは、社会的な不均衡を生み、嫉妬と邪術の攻撃対象になるのだ。
 また、アマゾン先住民社会における戦争というのは、近代国家が行なうような戦争、つまり市場の拡大や民族の独立といった大それたテーマとはあまり関係がなかった。むしろ、隣村の男に自分の奥さんを寝取られたので報復攻撃する、というような個人的な問題が原因であることが多かったようだ。シピボの人たちが首狩り戦争をしていたという記録はないが、同じアヤワスカ文化圏に属するヒバロ族は敵の首を狩って干し首にしていたことでよく知られている。首狩りというのは象徴的な行為だ。首狩り戦争では、集団Aと集団Bの間で、集団Aのメンバーが一人殺されたから、集団Bを襲って一人殺し返せばバランスが保たれるというような発想がある。考えてみればそれもある種の均衡であり、平和である。ただそこには一人ひとりのかけがえのない生命という近代的な観念はない。しかし、つい数十年前までそんなことをしていたなんて、やはりアマゾンの原住民は野蛮人だというわけにもいかない。日本人もほんの二、三百年前までは、首狩り族だったのだ。たとえば「忠臣蔵」のような首狩り報復戦争の物語は、いまでも多くの日本人を感動させつづけている。


蛭川立(2002)『彼岸の時間ー<意識>の人類学ー』春秋社、Pp. 265-273. 2016/2559-06-26 更新 蛭川立