科学と非科学の線引き問題

「科学」という日本語

まず最初に触れておきたいのが「科学」という日本語の意味である。日本語で「科学」というのは、もともと個別科学という意味だが、現在ではより強い意味で使われるようになっている。日本語で「科学」または「科学的」という言葉を使う場合、複数の意味が含まれているため、混同しないように注意しなければならない。たとえば以下のような含意が挙げられる。

(A)唯物論的な立場
 →これに対立するのは唯心論あるいは二元論。(「科学的」という言葉が「唯物論的」という含意を持ち、かつそれがマルクス主義的政治思想からみた「正しさ」を表す言葉としても使われることがあるが、この場合、対立する「誤った」概念は「観念論的」という言葉で表される。「観念 idea」を物質とも精神とも異なる独立した実在とみなす、三世界論という立場もある。)

(B)実証主義的な立場
 →これに対立するのは形而上学だが、実証主義は各種の実在論とも相反するので、物質実在論である唯物論とも対立する立場であり、どちらを「科学的」というのか、混乱することが多い。

(C)機械論的な立場
 →これに対立するのは生気論。

(D)還元主義的な立場
 →これに対立するのは全体論 holism。中間的な立場として構造主義やシステム理論などがある。

(C)と(D)はさておき、(A)と(B)の混同は入り組んでいるので整理する必要がある。たとえば「幽霊」について、科学的にみて存在するはずがない、幻覚に違いない、とするのが(A)の立場である。なぜなら(A)の立場は、非物質的な実体の存在を認めないからである。(B)の立場では「実在」するかどうかという問題は保留して、もし二人以上が目撃したり、写真に写ったりすれば、それは仮に存在するとして議論が進められる、と考える。

(A)と(B)の混同を避けるための、もっとも簡単な方法は、「科学」という言葉を使わないことであろう。しかし、もし使うのであれば、どちらの意味で使っているかを明確にする必要がある。古典力学を規範とする近代科学は漠然と(1)の立場—唯物論というよりは素朴実在論に近いかもしれない—から進められてきたが、相対性理論量子力学以降の現代科学は(B)の立場から進められている。

現代科学の文脈で、あえて「科学」という言葉を使うのであれば、(B)の立場であることを明示した上で、そのように使うのがよいだろうと考える。

科学と非科学の線引き問題

ある体系が「科学」であるかどうかという「線引き問題 demarcation problem」は、科学とは何かという定義にも大きく依存するものであり、明確な結論が得られていない。むしろ、あまり厳密に線を引くことはできないというのが結論だろう。有害な疑似科学は問題だが、有益な空想を妨げる根拠はないからである。つまるところ極論は「何でもあり anythinig goes」なのだが、それでも「科学的」であるかどうかの基準としては、おおよそ、

(1)理論が無矛盾であること
(2)理論が反証可能であること

の二点が挙げられる。さらに社会的、応用的な観点からすれば、価値依存的ではあるが、

(3)理論が有用である(または有害ではない)こと

という基準も加わる。

科学性評定サイトで挙げられている9個の基準のうち、(1)と関係するのが「論理性」「体系性」「普遍性」であり、(2)と関係するのが「透明性」「再現性」「客観性」である。また「予測性」は(1)と(2)の両方と関係しており、(3)に関係するのが「公共性」と「応用性」である。すべてを漢字三文字で「○○性」とするのは、なかなか語感が良いが、9個の項目を列挙するのはやや冗長であり、個々の項目の記述にも重複がある。もうすこし整理する必要があるだろう。

理論の無矛盾性と反証可能性

科学理論の用件についても諸説あるが、たとえばクーンは『本質的緊張』(和訳第二巻417頁)で「よき科学理論」の条件として「精確性 accuracy」「無矛盾性 consistency」「広範囲性 scope」「単純性 simplicity」「多産性 fruitfulness」の5項目を挙げている。

クーンの基準に挙がっている「精確性」は、おおよそ、よく知られたポパーの「反証可能性 falsifiability」(上記(2))に相当する。評定サイトでは「透明性」「再現性」「客観性」「予測性」の四つにまたがって関係しており、これは煩雑で冗長である。それは、反証可能性の中で社会的要因を論じているからだが、このことについては、社会的要因として別に分けたほうがわかりやすくなるだろう。これについては以下の「理論の社会的側面」で論ずる。

次に、上記(1)の無矛盾性に対応するのが、そのままクーンの「無矛盾性」であり、これは科学性評定サイトの「論理性」である。これについては、あまり細かい議論は必要ないだろう。

(1)から派生する要請として、反証不能でかつ無矛盾な理論であれば、より単純であるほうがすぐれた理論であり、またひとつの理論はより多くの既知の現象を説明し、かつまたより多くの未知の現象を予測するものであるほうがよい、ということが挙げられる。これはクーンの「単純性」「広範囲性」「多産性」に対応する。

この三点に着目すると、「単純性」という項目は科学性評定サイトには現れないが、場合によっては必要だろう。たとえば、メカニズムが不明な現象、たとえば「テレパシー」という現象を説明するために「第五の相互作用(力、場)」、あるいは精神現象に特有の相互作用を仮定するとすれば、四つの物理的相互作用ですべてが説明できるという既存の物理学理論に対して、それがより複雑であるという点に困難がある。逆に、現代の物理学は、すでに電磁気力、強い相互作用強い相互作用を一つの相互作用の別側面であるという統一理論を作り上げており、現在、重力を含むすべての相互作用を統一しようという方向で研究が進められている。これは「単純性」という点で、健全な方向性だといえる。

次に、クーンの「広範囲性」(これは「保守性」と言い換えたほうがわかりやすいかもしれない)と「多産性」は、おおよそ科学性評定サイトの「体系性」と「普遍性」に対応しているようだが、意味がはっきりしない。この二つの基準は、一つにまとめてもいいかもしれない。

たとえば「テレパシー」という現象を説明するのに「第五の相互作用」を導入しても、それが「テレパシー」だけではなく、既存の、四つの力によって説明される現象群よりも、より広い現象群を説明できなければ「広範囲性」の基準を満たさないし、また「テレパシー」以外の新しい現象が観測されることを予測しなければ「多産性」を満たさない。もしそれができないのであれば、「テレパシー」は既存の四つの相互作用の範囲内(おそらくは電磁気力)によって説明されるべきであり、あるいはその実験的証拠自体が否定されなければならない。

理論の社会的側面

次に、理論の応用面と社会的側面について検討したい。上記の(3)に関するものとして、評定サイトでは「公共性」と「応用性」が挙げられている。まず「応用性」は、純粋に有用かどうかという評価として考えられる。

社会的な文脈における科学のあるべき姿としては、マートンの「マートン・ノルム Mertonian norms」、つまり「普遍主義 universalism」「公有性 communism」「利害の超越 disinterestedness」「系統的な懐疑主義 organized scepticism」がよく知られているが、これらには強い政治的な含意があり、現代の日本の疑似科学を論じるにあたっては、幸か不幸か、あまり網羅的に問題にする必要はなさそうである。

しかし「公有性」は、有益であることが確認されたものであっても、その利益が特定の集団に占有されていてはならないという要請であり、応用性について論じる場合には、この公有性は考慮されなければならないだろう。これは、評定サイトの「公共性」と重なる部分が大きい。

さて、すでに指摘したことだが、評定サイトにおける「透明性」「再現性」「客観性」および「公共性」は、(2)と(3)にかかわる問題として挙げられているが、これは冗長であるように思われる。

ある理論が反証可能でない理由として、まず、理論自体に反証可能性が内在されていない場合がある。たとえば、ある療法により症状が軽減すれば「効いた」ということになり、症状が悪化すれば「好転反応」だとする場合、「好転反応」というものを明確に定義しなければ、理論は反証不能になる。

一方、反証を妨げる要因として、より社会的な要因がある。たとえばEM菌の効果について、関連する研究機関で行われた研究結果だけが偏重されるという問題が指摘されているが、追試の手続きが公表されており、かつ誰が追試しても反証されていない、という用件が満たされなければ、反証可能性は保証されない。この点について、評定サイトではすでに見たように「透明性」「再現性」「客観性」および「公共性」の四つの項目を立てており、たとえばEM菌についての項目には、外部の研究機関による追試が難しいという、同様の主張が繰り返し書かれている。これはうまく整理できないだろうか。

(2016/2559-06-18 作成 蛭川立