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蛭川研究室

蛭川研究室の「はてなブログ」版です

人種・民族・文化

 人種民族文化と、あるいは国籍とは区別されなければならない。たとえば「日本人」といった場合、「民族としての日本人」には、アメリカや南米に移民した日系人も含めることができるし、「日本国籍を持つ人」には、北海道のアイヌも含めることになる。

 人種は、おもに遺伝的な差異によって区別される。生物学的な種は、交配によって生殖可能な子孫が残せるかどうかで定義されるから、現在の地球上に拡散している様々な人種は同じヒトという種だといえる。人種の違いは種の違いよりも小さい。過去に起こった可能性のある、ネアンデルタール人やデニソワ人との交雑については、まだはっきりしていないが、交雑が可能であったとすれば、同じヒトの亜種とみるべきであろう。

 同じ文化を共有する集団が民族である。文化を代表するものは言語である。民族とは定義が曖昧な概念ではあるが、言語が互いに通じるかどうかが、同じ民族であるかどうかの目安となる。「本土」の日本語と琉球の諸言語を互いに通じるとすれば、日本語は琉球の諸言語を内包し、それを話す人々は民族としての日本人だともいえるし、互いに通じないと見なせば、日本人と琉球の諸民族は別々の民族だとみることができる。このように、民族という枠組みは、ある程度は恣意的なものであり、しばしば国家の枠組みを決めるさいの、政治的な作用の影響も受ける。

 言語は文化的に伝達されるものだが、言語を話す能力自体は遺伝的なものである。遺伝的な人種の系統関係と文化的な言語(語族)の系統関係の間にはかなりの一致がみられることがわかってきている。人種は、分岐した順に、大きくネグロイド(黒色人種)、コーカソイド(白色人種)、モンゴロイド黄色人種)に分類されてきた。このの順に、よりr戦略(多産多子)からK戦略(少産少子)への進化がみられる。すなわち、ネグロイドコーカソイドモンゴロイドの順に幼弱形成(ネオテニー)が起こっており、寿命は長く、脳容量は大きく、知能は高く、集団主義的で、また不安や抑うつの傾向も強い。
 
 性格や精神疾患に罹りやすい傾向について、その遺伝率が高いことは一卵性双生児の研究などから知られていた。ただし、たとえば人種間で知能の差があるということは、多少はあることが知られているが、個人差のほうがずっと大きい。ヨーロッパ人の平均を100とした知能テストで、東アジア人が105で、ネグロイド系アフリカ人が95ぐらいといった程度の違いは報告されている。(なおこの結果は、知能テストがヨーロッパ人に都合が良いように作られているわけではないことも示している。)

 社会の様相は振り子のように揺れ、科学的な研究もその影響を受ける。第二次大戦までは右に振れた社会の振り子は、戦後、左に振れ、二十世紀の終わりごろから、再び右に振れつつある。この間、遺伝から文化へ、文化から遺伝へという振り子のようなパラダイムの行き来があった。

 19世紀のヨーロッパでは、形質人類学的な人種の優劣関係が論じられ、第二次大戦後は、文化人類学的フィールドワークが発展し、優劣ではない文化の多様性が明らかになっていった。現在、人種による知的能力の差などについて言及することは差別を助長するとして、タブー視されているところがある。しかし、差別をなくすということは、科学的事実に反してまで差がないということを主張することではない。

 遺伝が決定論で文化が自由ということでもない。遺伝子の発現は環境との相互作用によって起こるものであり、また遺伝子組み換え技術によって、遺伝的な素因を後天的に変えることさえも、倫理的な問題はあっても、論理的には可能である。また一方の文化には保守的なところがあり、親の世代から子の世代へ、子の世代から孫の世代へと再生産を繰り返し、逆にその伝統を変えるのは、それが生活に根付いたものであればあるほど難しいのも事実である。

(追記「パラダイム」について

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(2016/2559-05-12 作成 05-26 更新 蛭川立