蛭川研究室

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「人間のような」人工知能を目指すのは無駄か?

遅ればせながら最近、Googleで「蛭川立」と入力して検索しようとすると、「蛭川立 ブログ」や「蛭川立 彼岸の時間」などの他に「蛭川立 結婚」という候補が出てくることに気づきました。これは一体どういう意味だろうと思い、他のいろいろな人の氏名を入力してみて、ようやく、おおよその理由を理解しました。「結婚」というのは、人名と並んでよく検索されるキーワードのようです。おそらく、多くの人が「蛭川立 結婚」「蛭川立 結婚」「蛭川立 結婚」「蛭川立 結婚」「蛭川立 結婚」「蛭川立 結婚」「蛭川立 結婚」「蛭川立 結婚」「蛭川立 結婚」「蛭川立 結婚」「蛭川立 結婚」「蛭川立 結婚」「蛭川立 結婚」というキーワードを繰り返し、繰り返し入力した結果、サーチエンジンの方で連合学習が行われたのでしょう。

私以外の人の名前をいろいろ入力すると、「夫」「妻」「息子」「娘」「家族」などもよく出てきます。「結婚したい」というキーワードさえ出てきますから、単に家族関係を知りたいだけではなく、自身の欲望をそのまま入力して検索をしている人も少なくないようです。その他、所属組織や著書名、作品名などの他に、「離婚」「再婚」「盗作」「批判」「裁判」「辞職」、さらには「太った」「痩せた」「宗教」「血液型」といった言葉も出てきます。どこか、日本の週刊誌の広告のようでもあります。幸い、私の場合には、悪い噂にかんするキーワードは出てこないようです。

人工知能に知識を学習させる方法として、設計者が手取足取り概念を覚えさせるのではなく、沢山の人がGoogleのような検索エンジンに入力した語句を関連させて、概念のネットワークを構築するという方法があります。ブログやSNSなどの内容からも概念の関連性は分析できるでしょう。「〜したい」といった語句から、欲望の構造も分析できるかもしれません。これは、人間のような情報処理を行う人工知能を作るのに、効率の良い方法です。しかし、このような学習方法を通じて人間と同じ能力で情報処理を行える人工知能ができたとしても、それは、きっと平均的な人間の思考を再現することにしかならないでしょう。人情(?)はありそうですが、人間と同じような下世話な情報処理に夢中になってしまい、人間が高性能のコンピュータに望むような効率の良い仕事はしてくれなさそうです。あるいは、膨大なヴァーチャル経験値から、「Yahoo知恵袋」のような雑多な質問に、ほどほどに答えてくれるエキスパートシステムができれば、それはそれで役に立つのかもしれません。

ただし「概念」というのは人間の情報処理において、他の動物にはみられない、重要な特徴です。同居や生殖は物理的、生理的な出来事であり、他の生物とも共通するものです。しかし、「結婚(婚姻)」は記号であり、象徴です。人は「結婚(したい)」と入力することはあっても、「同居(したい)」とか「生殖(したい)」とは入力しません。「事実婚」のような奇妙な概念があることが示すように、しばしば人間は物理的な事実よりも象徴的な記号を優先させて考えます。シニフィエからシニフィアンが遊離し、物理的な対象に向かう「欲求」よりも、観念的な記号に向かう「欲望」が先立つのです。これは一種の倒錯なのですが、記号を操作することだけで世界を理解したことにするという思考形態は、むしろコンピュータの得意とする分野だともいえるでしょう。

さて、もし人工知能が人間の能力を超えたとき、何が起こるでしょうか。答えは「予測不能なことが起こる」です。人間の能力によって予測可能な挙動を示している間は、人工知能は、人間の能力を超えていることにはならないからです。

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(2016/2559-03-05 作成 07-16 更新 蛭川立