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蛭川研究室

蛭川研究室の「はてなブログ」版です

物理学は「超常現象」をどのように扱いうるか?(改訂中)

実験超心理学が研究対象にしている「超常現象」や「超心理現象」は、通常には起こりそうもないという意味で否定的に定義されて仮定された、雑多な現象群の総称であり、じっさいに研究が進んでいるのは、比較的安定して肯定的な結果を出している実験系が扱っている現象である。それには

1、ガンツフェルト実験におけるテレパシーの研究
2、物理乱数発生器(REGまたはRNG)を使ったマイクロPKの研究
3、その他、予感や遠隔ヒーリングの研究

などがある。これらの実験は、統計的には有意な結果が出ているが、実験手続きの問題点や、データ処理の問題など、批判も多い。たとえ統計的な有意性が確実だとしても、物理的なメカニズムが説明できないことには大きな問題がある。その理由の第一は、単純に多くの物理学者がそのような実験結果を知らないため、それを研究しようとも思わないことにある。また、知っていても、物理学者はそれをたぶん有望な現象だとは考えないだろう。本当に好奇心旺盛な物理学者は、むしろ既知の理論に反する変則的なデータを歓迎するが、その一方で、その変則的なデータが実際に正しく、既存の理論を更新しなければならないかどうかについては保守的で慎重になる。それは、研究者の気質というよりは、科学的な議論の進めかたの標準的な方法論である。

テレパシーは、もし存在するなら、生体と生体、心と心の相互作用だと考えられる。それは、物質と物質の相互作用で説明できるだろうか。物理学的には、物と物の相互作用(力)は、局所的な「場」を順々に伝わる波として記述される。その伝播速度は自然界の制限速度である光速度を超えることができない。今までに知られている物理的相互作用は四個ある。まず、「強い力」と「弱い力」は素粒子レベルの大きさでしか伝わらないので除外される。残る二つ、重力と電磁気力は伝わる距離に限界がない。しかし、重力は電磁気力に比べて極端に弱い力なので除外できる。われわれが重力を強いと感じるのは、身の回りの物質の多くがマクロにみれば電気的に中性であり、人間のサイズに比べれば地球がけた違いに大きいからである。磁石に吸いつけられたクリップが下に落ちないのは、電磁気的に中性ではない物質が電磁気力を発揮すると、それが重力よりもはるかに強い力であることを示している。重力の強さは物体の質量に比例するが、磁石と地球の大きさの違いは歴然としている。

それゆえ、テレパシーが存在するとすれば、もっともありそうな候補は、電磁波である。神経細胞が電気を帯びたイオンの挙動で活動している以上、人間の脳が弱い電磁波を出しているのは事実だが、ガンツフェルト実験で行われているように、隣の部屋や、隣の建物でも受信できるほど強くはないし、壁によって遮蔽されてしまわないのも不思議である。また、人体は体温という形で赤外線という電磁波も出しているが、それもそれほど強くはないし、それでは細かい情報は伝達できない。

だから、テレパシーが存在するとしても、既知の四つの物理的相互作用では説明が難しい。しかし、既知の理論で説明できない現象が観測された場合、変則的な現象を無視するのではなく、理論のほうを拡張するのが科学的方法論の原則である。理屈抜きに変則的な現象を変則的であるという理由だけで無視するのは(科学史的にはよく行われてきたことではあるが)正しい科学的方法論とはいえない。その場合、四つの相互作用だけで不足なら、五つ目の相互作用の理論を新たに導入してもいい。とはいえ、できるだけ単純な理論で世界を説明しなければならないというのも、科学的方法論の原則である。それゆえ、新しい理論の導入には慎重さが必要とされる。

物理学の世界でも、同じコマでも右回りのときと左回りのときでは質量が異なるという実験報告があり、五つ目の相互作用を導入するかどうかという議論があったが、けっきょく実験データのほうに再現性が十分になく、第五の力の仮説は見送られたという経緯もある。とりわけ変則的なデータには十分な再現性が必要とされる。十分な再現性は、肯定的な立場や否定的な立場など、複数の立場の多数の研究者が同じ手続きで実験を行って、安定して同じようなデータが得られることによって保障される。特定の実験者だけからしか特定のデータが出てこない場合、これを実験者効果といい、そのような場合、データの再現性は疑わしくなる。超心理学実験の場合は、とくにこのような問題が多く、特定の研究者の不正行為や実験手続きが問題になりやすい。超心理学の分野では、信じるという心の作用が実験系に影響を与えるという「サイ媒介実験者効果」なる仮説もあるが、これはデータの客観性自体を議論できなくしてしまう、困った仮説である。(サイとは超心理現象の別名。)

テレパシーという変則的な現象があるとして、それを説明するために、五つ目の新しい物理的相互作用か、心と心の間だけに働く新しい相互作用の理論を導入すること自体は方法論的に問題はないが、現象の説明に必要な概念はできるだけ節約されなければならない。これは、方法論上の約束事のようなもので、同じ現象群なら、できるだけ少なく単純な理論で説明できたほうがよいのである(この原則を科学論では「オッカムの剃刀」と呼ぶ)。潔癖な理論物理学者は既知の相互作用が四つもあることでさえ、多すぎると感じているようで、四つの相互作用が、たった一つの基本的相互作用の異なる側面にすぎないと説明できる理論を探し求めており、すでに、重力以外の三つの力の統一化はある程度成功している。

テレパシーのような連関を、局所的な相互作用ではなく、非局所的な連関で説明しようとする説もある。量子力学では、互いに連関(エンタングルメント)した二つの粒子があった場合、片方の粒子の性質、たとえばスピン(自転のようなもの)が観測によって確定すれば、その瞬間にもう片方の粒子のスピンが反対向きであることが確定する。この確定は同時刻に起こるので、あたかも光速度を超える相互作用が起こったかのようにみえるが、じっさいには連関は連関以上のものではなく、片方から他方に向かって情報を伝達することはできない。量子エンタングルメントを利用した量子テレポーテーションという現象はすでに実験的に確認されているが、それを確認するためには、けっきょく二つの系の間に別の局所的な情報伝達経路を必要とする。

テレパシーが心と心、生体と生体の関係であるのに対し、PKは心ないし生体と物の関係である。遠隔ヒーリングのように、対象が生体である場合は生体間の直接相互作用として、生命を持たないスプーンのような物質を対象とするPKとは区別することがある。

またこの狭義のPKも、スプーンのような静止した大きな物体を曲げたり折ったりするような「マクロPK」と、回転中のサイコロや崩壊中の放射性元素原子核に作用する「ミクロPK」は、概念的に区別される。現在、PKの実験で比較的安定した結果を出しているのは、放射性元素の崩壊や、ダイオードの壁を抜けるトンネル電流など、量子力学的な意味での「真の」確率的な事象(物理乱数)に観測者の意識が働きかけるという実験系で計測される、ミクロPKの実験である。

古典力学とは異なり、量子力学は、あらゆる物質は、たとえば一個の素粒子も、観測される以前には、いわば確率の波として全宇宙に広がっていると考える。しかし観測するとその時点で一個の粒子に「収束」する。これはきわめて奇妙な発想ではあるが、すでに実験的には十分に確かめられている。量子力学的なターゲットを使ったミクロPKは、そのような発想で意識が物質の振る舞いに介入すると解釈できる。しかし、既存の量子論からすぐに、観測する意識の側が物質波に能動的に働きかけるのだと結論することはできない。物質波は人間の意識とは無関係に、マクロな観測装置でその位置を測定されることによって粒子に収束するとも考えられるので、もしそうなら、そこには能動的な意識の作用の入り込む余地はない。自動的な観測装置で測定されてから、観測者が意識でそのことを確認するまでは、すでに粒子がどこに存在するかは確定しており、観測者はそれを追認する受動的な立場をとるだけだとするのが最近の通常の解釈である。

なお、予知はいままで論じてきた問題とは根本的に異なる問題を提起する。なお、「予感」は予知の一種とされ、心理的ではない「予測」は予知には含まれない。たとえば「地震予知」は予測の一種であって、「天気予報」と同様、心理現象ではないので「超能力」とはみなされない。天気予報の達人やナマズは超能力者かもしれないが!

予知がもし存在すれば、因果律、つまり原因が結果に先立つという基本原理を破るので、自己矛盾をきたしてしまう。したがって、予知について考えることは、決定論と自由意志という基本的な問題から考え直すことが必要になる。それでも予知という異質な現象がテレパシー、透視と同じESPというカテゴリに入れられるのは、テレパシー、透視、予知がしばしば同時に起こり、区別するのが難しいからである。もっとも、そのように矛盾したことが同時に起こると考えざるをえなくなるということ自体、逆にテレパシーも透視も予知も存在しないことの証拠だともいえる。

しかし、物理学的には、時間反転対称性(過去と未来の対称性)を破っている変則性は心的時間のほうにあるのだから、決定論と自由意志を比較した場合に、そもそも変則的な超常現象は自由意志だということもできる。予知、言い換えれば未来の記憶が過去の記憶と同じようにあって、かつ自由意志が存在しなければ、心的時間の対称性は保たれ、自由意志や意識という変則的な現象は物理的宇宙から排除できる。世界は物質だけでできていて、空間的にも時間的にも対称的であるほうが、物理学的にはそのほうが単純で整合性のとれた宇宙モデルになる。意識や自由意志が存在しないということは、われわれの日常的直感には反する。

もっとも、相対性理論量子力学など、現代物理学の理論の多くがわれわれの日常的直感には反しているのに、観測データはそれらの日常的直観に反した理論をよく支持している。われわれの主観的直感は、人間ぐらいのスケールの世界、素粒子よりははるかに大きく、光の速度よりもはるかに遅い世界が「普通だ」と思うように進化してきたからだ、というのがひとつの答えであろう。

いわゆる認知バイアスの問題も、主観的な直感の偏りとして考えることができる。人間の直感は、さまざまな出来事の間に因果関係を見出そうという方向に進化してきたと考えられる。だから、客観的には無関係かもしれない二つの出来事の間に、なにか意味のあるつながりを感じようとする傾向がある。シンクロニシティ共時性)と呼ばれる体験は、かなりの部分、このような認知バイアスによって説明可能で、テレパシーのように思われる主観的体験も、やはりある程度までは同じような問題としてとらえることができるかもしれない。


(2010/2553-06-19 作成 蛭川立 更新中)