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蛭川研究室

蛭川研究室の「はてなブログ」版です

「性」と「死」の円環

エントロピーからの逃走

生命とは複雑にからみあった有機分子が構成する精巧なシステムだ。動物だろうが植物だろうが、あらゆる生物の身体を構成する単位である細胞は、多糖とタンパク質からなる膜につつまれた微細な空間であり、その中では核酸に刻まれた情報にしたがって、生命の維持と存続に必要な化学反応が着々と営まれている。

しかし、形のあるものは必ず滅びる。これは宇宙の基本法則(熱力学の第二法則)であり、逆らうことはできない。一九世紀の唯物論者フリードリッヒ・エンゲルスは、生命とはタンパク質の存在様式である、と言い切ったが、生物といえども物質の存在の一形態にすぎず、物理学の基本法則にたいして霊的な優越性など持つことはない、と現代の科学者たちは考えている。生物はその複雑なシステムを維持するために、時間の経過にともなうエントロピー、つまり無秩序さの増大に逆らって秩序を維持し続けなければならない。

秩序を維持するためには、壊れるよりも速く同じ部品を再生産することだ。単純な分子から複雑な分子を合成するのには、たとえばたくさんのアミノ酸をつなぎあわせておおきなタンパク質をつくりあげるのには、それにみあっただけの一定量のエネルギーが必要となる。ある物質を合成するためには、かならずそれにみあった分のエネルギーが必要で、生物だからといってディスカウントしてもらえるようなものでもない。しかし、化学反応の速度は触媒(3)によって速めることができる。生体内では酵素と呼ばれる高度に特殊化されたタンパク質が生化学的な反応を触媒している。酵素パワーが生命というシステムを支えている。

搾取される太陽

生物が身体の秩序の維持のためにエネルギーを利用しつづけることができるのは、生物が開放系であり、別の場所からエネルギーを奪い続けているからだ。そのエネルギー源が太陽である。太陽のようなふつうの恒星は、おもに水素でできているが、太陽は、この水素を「燃料」にして輝いている。資本家に搾取されている労働者も、他の生物の死体を食うことで生命活動を営んでいる。それはどんな動物でもおなじだ。肉食動物は他の動物の死体を食べて生き、草食動物は植物を食べて生きる。植物は光合成によって、太陽エネルギーをみずからの身体に固定する。つまるところ、地球の生態系は太陽を「搾取」することで成立している。太陽が気前よくエネルギーをばらまいているので、宇宙全体としてはエントロピーが増大していても、地球上では局所的にエントロピーが減少したりしているのだ。この例外的な状況は、太陽が燃えつきるまで、あと40億年ぐらいは続くらしい。

タンパク質の合成

ところで、生体の秩序維持に活躍する酵素自身もまた、しょせんはただのタンパク質。やはり時間の経過にともなう解体をまぬがれられない。それに対抗するにはどうするか。こんどは酵素の再生産である。酵素タンパク質はm-RNAメッセンジャーRNA)の鋳型に従って大量生産される。m-RNAは長いポリヌクレオチド分子であって、そのヌクレオチドの配列にしたがってポリペプチドが合成される。三個のヌクレオチドが一個のアミノ酸をコードしており、この遺伝暗号にしたがってタンパク質が合成される。たとえば、m-RNAが、AUG-CGU-GGU-CCC-・・・という塩基配列を持っていたとすると、この暗号は、メチオニン・アルギニン・グリシンプロリン・・・というアミノ酸のつながったタンパク質へと翻訳されていく。

しかしこのm-RNA分子もまた時間の経過にともなう分解をまぬがれられない。次はm-RNAの再生産である。m-RNAはDNAを鋳型として合成される。DNAもRNAと同様、長いポリヌクレオチドであって、そのヌクレオチドの配列にしたがって相補的なRNAが合成される。DNAはA,T,G,Cという4種類のヌクレオチドがつながってできている。いっぽう、RNAはA,U,G,Cという4種類のヌクレオチドがつながってできている。そして、AとU、TとA、GとC、CとGがそれぞれ相補的に結合する規則になっている。たとえば、TATACGAというDNA鎖に対応して合成されるRNA分子は、AUAUGCUという塩基配列を持つことになる。しかしこの鋳型になるDNAもまた解体をまぬがれられない。またまた次はDNAの再生産である。では、その鋳型は?…といくとこの追いかけっこには果てしがないような気がする。

DNAの修復と複製

しかしDNAはRNAとはちょっと違う。DNA分子は自分自身を鋳型として自分自身を再生産することができる。RNAと違って、DNAは二本のポリヌクレオチド鎖からなる。二本のポリヌクレオチドは互いに相補的な塩基配列を持っており、らせん階段のようにからみあって結合している。もしかりに片方の鎖に損傷が生じても、もう片方の鎖が無事なら、DNA分子は自己修復を行うことができる。ペアとなるポリヌクレオチド鎖が健在なら、それに相補的なヌクレオチドをおぎなってやればいい。

また、ヌクレオチドの二重鎖をほどいて一本ずつにし、それぞれに新たに相補的なポリペプチド鎖を補えばそっくり同じ塩基配列を持つ二本鎖DNAが二つできる。こうしてDNAは自己複製を行うことができる。

組み替えによる修復

DNA分子は二本鎖であって、RNA分子よりも修復しやすい。しかし、それでも万が一、DNAの二本鎖が同時に損傷を受けた場合はどうすればよいだろうか。片方のポリヌクレオチド鎖がやられただけなら、情報はまだ残っている。すでにみたようにもう一本の相補的なヌクレオチド鎖に基づいて損傷を修復することができる。しかし二本の鎖が同時に損傷を受けてしまった場合は、もはやそういう方法では対応できない。

そこで登場するのが最後の技法、DNAの組み替えである。あらかじめつくっておいたバックアップの複製DNAを呼び寄せ、二分子のDNAが互いに一本ずつのポリペプチド鎖を交換する。一方のDNAが二本のポリヌクレオチド鎖の両方に損傷を受けていても、組み替えの相手となるもう一方のDNAの同じ部位が二本鎖とも無傷なら、組み替えの結果できるのはそれぞれ一本鎖に損傷を受けたDNAが二分子である。ここまで来たらあとは先ほどの修復機構で完全な二本鎖を回復することができる。この二分子のDNAの交わりが、すべての性的な交わりの基本型だ。

ゾウリムシの若返り

ゾウリムシは単細胞の原生動物で、分裂によって増殖していく。一個体のゾウリムシは分裂によって二個体になり、それぞれが分裂すると四個体になる。それでは、エサが充分にあれば無限に増殖し続けるのかというと、そうではない。隔離したゾウリムシを何百回も分裂させながら観察していくと、いくらエサが十分にあっても、次第に分裂が止まり、最後には死んでしまう。ゾウリムシにも老衰死というものがあるらしい。

しかし、分裂が止まって死にかけているゾウリムシを、別のゾウリムシと接合させてやると、とたんに若返ってまた元気に分裂して増えていく(6)。ゾウリムシの接合においては、二個体の細胞の間で核の交換が行われる。どうやらこのプロセスで、核に含まれるDNAの組み替え(そして修復)が起こっているらしい。老いぼれて傷ついたDNAが組み替えにより修復され、若さを取りもどす。互いが傷だらけのDNAを持っていても、同じ場所に傷があるのでないかぎり、互いに補いあって若返ることができる。これが有性生殖というシステムのもっとも始源的な形態であると考えられている。

二種類の死に方

台湾の山地に暮らす先住民族タイヤル人の伝統的な死生観によれば、死は二種類に分類される。天寿を全うした場合と、非業の死である。天寿を全うした場合は、死者は虹をわたって天国に行くことができるが、非業の死を遂げた霊魂は、赤い目をした幽霊となって死亡地点の近辺をさまようという(7)。後の時代になって台湾に移住してきた漢民族も似たような死生観をもっている。とくに、結婚できないまま若くして死んだものの祟りは非常に恐れられている。その一方で、天寿を全うして死ぬのは、生活史の正常な一部分であるとかんがえられている。死者に存分に楽しんでいただくため、葬式は爆竹を鳴らしながら、じつににぎやかにとり行われる。ときに死んだおじいさんを喜ばせるために演じられるストリップは、異文化からやってきた見物客を驚かせるが、そこにはなにやら性と死の深遠な結びつきが感じられなくもない。

単細胞生物は、条件さえ十分であれば、不死である。接合ができなければ老衰死するゾウリムシも、接合すればまた回春し、増殖していく。十分な数の相手と定期的に接合を行っていれば、理屈の上では永久に分裂しながら生き続ける。そこには老衰死はない。あるのは、事故、病気、餓死などの非業の死だけだ。

体細胞の運命

しかし、多細胞生物の場合は、遺伝子組み替えによる若返りの恩恵を受けるのは、卵や精子につながる一部の選ばれた細胞だけだ。筋肉、神経など残りのほとんどすべての組織の細胞(体細胞)は、たとえ事故や病気をまぬがれたとしても、若返る可能性を奪われたまま、寿命が来ると死ぬ。

多細胞の動物(後生動物)の場合、選ばれた代表は卵と精子である。メスの身体を代表するのが卵、オスの身体を代表するのが精子だ。卵と精子にはそれぞれ一個体の多細胞体をつくるのに必要な遺伝情報が一セット含まれている。したがって受精卵、そしてそれのコピーである体細胞には、おのおのすべてに二セットの遺伝情報が含まれていることになる。そしてこの二セットのDNAは、次の世代の卵または精子がつくられる直前に組み替えを起こし、分裂して一セットずつに分かれる。二組の遺伝情報が混じり合い、また二組の遺伝情報のセットへと再分割される(減数分裂)。このようなライフサイクルを基準にしてみれば、われわれの身体は、この混ぜあわせから再分割までの間にある細胞の一時的な副産物にすぎない。

早死にという戦略

山の上は平地よりも気温が低い。日本の中部山岳地帯だと、1000m登るごとに、5~6℃ずつ気温が下がる。だいたい標高2500mを越えると、森林は姿を消し、ツンドラ性の潅木の混じった草原になる。これより高い場所には高木は生育できないので、このラインを森林限界と呼んでいる。うっそうとした針葉樹森の中につづく小道をのぼっていくと、やがて向こうのほうから明るい光が見え、それがだんだん近づいてくる。森が突然途切れてー季節が夏ならー目の前に一面のお花畑が広がる。なにやら臨死体験者の報告のようだが、このような光景は古来からの山岳信仰の世界観にも影響を与えたかもしれない。

ツンドラ性の草原はほとんど一年中が「冬」であり、短い夏に「春」と「夏」と「秋」がまとめてやってくる。植物たちはこのわずかの期間に、いっせいに花を咲かせ、実をつける。平地では春に咲いたり、秋に咲いたりするような種類の花も、高山では同時に咲かざるをえない。それでみごとなお花畑が出現する。

もっともこの短い夏は花を咲かせ、実をつけるのが精いっぱいなので、高山植物の多くは多年生である。たとえば、最初の夏は芽を出して成長するのに使い、ひと冬越して次の夏に花を咲かせるといったぐあいに。これに対し平地の典型的な一年生の植物は、春に芽を出し、夏に花を咲かせ、秋に実をつけて、枯死する。気候の厳しいところに生える草のほうが長生きし、気候の穏やかなところの草のほうが早死にする。草にとっては、環境条件が許す限りで、早く種をつくり、早く死んだほうが繁殖上は有利なのだ。 多細胞生物の老衰死はかならずしも単純なエントロピーの増大の結果ではなく、むしろ生殖上の都合で積極的に起こっているようにみえる。

生体が死を早めるために積極的な自滅メカニズムを持っていることを示唆する結果は、癌研究からも得られている。体細胞は成長が終わるとむやみやたらと分裂しないものだが、癌細胞は分裂をやめない。それはしばしば多細胞個体全体のバランスを崩し、死にいたらしめる。十分な栄養を与えれば、癌細胞はほとんど無限に分裂を繰り返す。癌細胞がなぜゾウリムシのように老化しないのかについてはよくわかっていないが、逆にいえば、どんな細胞も癌細胞のように分裂しつづける能力を持っているにもかかわらず、それを何らかの手段で抑制していると考えられる。癌化を引き起こす突然変異の存在が明らかになってきたが、それは逆に、細胞の分裂を停止させ、しかるべき年数を経ると死にいたらしめるという計画をコードした遺伝子の存在を示唆している。

遺伝子の組み替えが起こった次の世代の個体に場所をゆずるための死、遺伝子の組み替えが起こった子世代の個体のうち、組み替えのパターンの悪いものが淘汰される死、この二つの「死」は、有性生殖と組になって、遺伝子の生き残りにおいて積極的な役割をになっている。

人間の基本的ライフサイクル

現生のヒト、ホモ・サピエンスが地球上に登場したのはおよそ二十万年前だと考えられている。われわれの祖先が農耕や牧畜をはじめたのはおよそ一万年前だと考えられているから、ヒトのライフサイクルの基本的なパターンは、それに先立つ長い狩猟・採集生活の中で、その生活様式に適応するような形で発達してきたと考えられている。

このような基本的なライフサイクルのパターンは、考古学上の遺物や、現在も農耕や牧畜を行わず、狩猟・採集生活をいとなんでいる人たちのの生活を分析することで明らかになってきた。それは「先進」国に生活するわれわれにはちょっとなじみのないものである。

たとえば、カラハリ砂漠の先住民、クン・サンの伝統的なライフスタイルをみてみよう。

まず、少女は15~16才ぐらいで初経を迎える。そのへんで早々と結婚してしまっていることもあるし、未婚のままセックスをはじめることもある。いずれにしても18才ぐらいまではあまり妊娠しない。月経が始まってもはじめの数年は、排卵があまり起こらないので、精液をもらっても妊娠しにくい。この現象は思春期不妊と呼ばれている。赤ちゃんが産まれると、だいたい三年ぐらいはおっぱいをやり続ける。授乳中は排卵が起こりにくく、やはり妊娠しにくい。授乳中のセックスを禁止している社会も多いが、たとえこのタブーを破ったとしても、この期間は妊娠する可能性は低い。

一人の女性が20才ぐらいからだいたい4年間隔で子どもを産み続け、約40才で閉経になるとすると、子どもの数は全部でだいたい4~5人になる。平均寿命もだいたい閉経とおなじぐらいだ。もちろんこれは平均であって、中にはもっと長く生き続け、長老みたいになるひともいただろう。また一方で、若くして死ぬことも多い。とくに出産は大きな事件で、この事件で命を失う女性が少なくない。

そもそも、産まれた子どものうち、三人に一人は一才にならないうちに死ぬ。ほんらい、乳児の死亡は、老衰による死とおなじぐらい自然な現象なのだ。最終的に大人になって、次の世代に子孫を残せるまで生き残るのは、生まれた子どもの約半数、もとが4~5人なら、二人かそこらということになる。世の中は女と男が半々だから、一人の女が二人強の子どもを産むということは、ちょうど人口はぎりぎり減らないか、ゆっくり増える程度で制御されていることがわかる。

死亡率が急激に低下し、人口爆発が始まったのはまだほんの200年前、人類の長い歴史からみればほとんど「さっき」のことだ。それまでの地球上の人口は何万年もの間、数十万人から数百万人程度であったと推測されている。だから、今まで地球上に生まれ落ちた百億以上の人間の半分以上が、今この地球上に生きている計算になる。

蛭川立『性・死・快楽の起源―進化心理学からみた〈私〉』1999年、66-80頁より加筆修正)

(2011/2554-05-22 作成 2015/2558-10-08 修正 蛭川立