脳の病気を追って —検査と入院—

「病気の説明は患者がするべきことではない。一人ひとりの症状も処方も異なるのだから、主治医にしてもらうべきことなのである」(絲山秋子[*1])

以下は、医学的な議論というよりは、私的な旅行記のようなものである。個人的には、病気のこともさることながら、脳という内臓の不思議さに惹かれるものがあり、またそれが定量的な数値によって計測できるようになってきたという、そのこと自体に不思議な驚きを禁じえないのも事実である。

睡眠障害

かれこれ長い間、正体不明の睡眠障害に悩まされてきた。

おそらく、物心ついたときから、寝つきが悪い、眠りが浅い、目覚めが悪い、頑張って起きてもずっと眠くて怠い、ひどいときには、立ち上がることさえできないほどで、やっと普通に活動できても、急激な眠気が襲ってくる、というありさまである。

体質的なものと、いい加減な生活パターンの両方からくるものだろうとと考えていて、とくに悪化してくるようでもないので、悪性の病気ではなさそうだと、日々の忙しさもあって、適当に放置していた。

とりあえず通院し、必要におうじ睡眠薬などをもらって、場当たり的に生活を続けていたというわけである。

心理検査

いよいよ本格的な検査と治療に取り組んでみようと思い立ったのは、西暦2016年に入ってからである。

縁あって、たまたま、国立精神・神経医療研究センター神経研究所疾病研究第三部で「脳科学的検査」を受けた。2017年の4月のことである。心理検査は二日にわけて朝から何時間も続き、検査の途中で寝不足からくるパニック発作を起こして記憶検査を中断してしまったりと、なかなか苦労した。心理検査の代表的なものとして、知能検査があるが、その結果もあまり芳しくなかった。
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これはWAIS-Ⅲ(ウェクスラー式成人知能検査)という知能検査の結果で、図の右にある四個の群指数で、知的能力のどこに問題があるかを調べることができる。

左上の言語理解はIQ133[*2]だが、そのまま右側に平坦であるべきプロフィールが大きく右肩下がりになっており、トータルではIQ118まで低下している。とくに前頭前野(→人類の進化と大脳化)のはたらきと密接にかかわっている作動記憶(作業記憶:Working Memory[*3])がIQ103と、もっとも低下している。

頭がボンヤリしている状態で暗算や数唱などをやっても点数が下がるのは当然である。いっぽう、言語理解の下位検査で、言葉の意味や知識を問うような問題は、調子が悪くても、時間をかければ答えられる。

知能検査は、合計点で「頭の良さ」のスコアとしてとらえられがちだが、じっさいには、各々の下位検査の点数の低下具合によって、精神疾患発達障害などの可能性を調べられる、よく改定されてきた方法である。もちろん、たんに怠かったり、やる気がなかったり、その他具合が悪くても、とくに右のほうの点数は大きく落ちる。検査する状況によっても変動はある。

この結果を簡単に解釈すれば、もともと頭がいい人が、かなりボンヤリしている状態だということになる。そのボンヤリした状態が一時的なものではなく、慢性的なものであれば、うつ病、または双極性障害うつ状態の可能性が疑われるという。とくべつ精神的に落ち込んでいたようなことはなかったのだが、精神よりもむしろ身体に症状が出る、非定型うつ病というものもあるらしい。いずれにしても、検査の日は朝早く起きたので、それだけでも夜型の人間には大変だったのは事実である。

精神疾患と創造性

俗に天才と狂気は紙一重という。精神病と創造性については多々議論がされてきたところではあるが、知能の要因を差し引いて定義される創造性の度合いは、双極性障害とは相関し、統合失調症と単極性障害とは相関せず、しかし双極性障害統合失調症の、発病していない血族とは相関するという。このことは、双極性障害の患者にみられる創造性が、知能検査では計れない能力だということを示している。(しかし創造性もまた一般知能gと相関している可能性は否定していない。)(→「二大精神病」と創造性

MRI検査

従来、精神疾患、つまり心の病だとされてきた疾患の多くが、脳という内臓の病気だということが明らかにされつつある。

たとえば、従来「躁うつ病」や「気分障害」とよばれてきた疾患は、外的なストレスが主となって起こる(心因性の)、どちらかといえば心の病である「(大)うつ病」と、むしろ神経系の変調によって起こる(内因性の)「双極性障害(双極症)」とに分けられて考えられるようになってきた。つまり、双極性障害や、あるいは統合失調症は、どちらかといえば内因性、つまり、脳という内臓の病気だ、ということになる。

しかし、内因性の疾患であれば、けっきょくは器質性の(脳に異常のある)疾患であるはずだ。つまり、脳画像に異常が発見されたり、あるいは血液検査で異常値が出るなどの診断ができるはずである。

脳の器質的異常を調べるための装置としては、たとえばMRI核磁気共鳴画像法)がある。

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国立精神・神経医療研究センター神経研究所に設置されている、最新の3テスラMRISiemens MAGNETRON Trio, A Tim System 3T)による検査。上は検査の様子、下は脳の画像。

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脳に器質的な異常はみられない。脳の血流量にも異常は認められなかった。けっきょく、眠い怠い病の原因はよくわからないまま。

光トポグラフィー

脳の異常を客観的に調べる方法として研究が進んでいるのが、近赤外線を使った光トポグラフィーや、脳脊髄液検査である。7月に、やはり国立精神・神経医療研究センター病院で光トポグラフィー(NIRS)の検査を受けた。

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結果は「躁うつ病あるいは統合失調症パターンの波形に近い結果を示しています。そして、定性的判読では躁うつ病パターンに近い波形として経験があります」という、人工知能が出力したような、すこしぎこちない日本語だった。

この結果を自分なりに見てみると、なるほど立ち上がりはやや遅いが、いったん立ち上がると振り切れている。これは、単極性のうつ病だとは考えられない。双極性障害か、あるいはたんに健常か、である。上記の診断結果と、この測定のころは身体が怠くてボンヤリしていたことを合わせると、双極性障害躁うつ病」だというところだろう。

とはいえ、これはまだ十分な診断ではなく、せいぜい診断の補助になるぐらいの計測である。光トポグラフィーは「精神病」と呼ばれてきたものを脳の病気として測定できる大きな可能性をもつ検査法として注目されているが、まだ発展途上の技術ではある。

けっきょくは問診

けっきょく、現状では、いまだに精神疾患は医師による問診という、主観の入り込みやすい方法でしか診断できない。医師によって診断が違うなど、曖昧な状況が続いている。

私はといえば、なんらかの睡眠障害だということは確実で、睡眠相後退症候群特発性過眠症という診断を受けている。その背景に軽度の双極性障害があるという診断もある。

病気でもなんでもなく、夜更かしなどの生活習慣が悪いのだという医者もいる。その他、偏頭痛持ちであったり、パニック発作を起こしたり、離人感や現実感喪失にいたっては、もはや日常生活の一部になっている。子どものころはけいれん発作を起こしたことがあるが、検査ではてんかんではないとされた。

幼少時より自分は天才に違いないという妄想?にとりつかれていて、調子がいいときには北はヒマラヤ南はアマゾンまで渡り歩いてきたもので、これを「軽躁病エピソード」だとみなすのであれば、ようするに双極Ⅱ型障害(経度の双極性障害)ではないか、というのが問診結果の趨勢である。ただし、ふつうは躁状態では眠らずに頑張ってしまうといわれているが、私はいつでも眠いので、そこは躁病とは異なる。

とはいえ、なにか脳の調子が悪いのは事実なのだが、ほんとうにどういう病気なのかは、よくわからないままである。病人はあれこれ中途半端な知識で自分を診断したがる。えてして病人は自分のことばかり考えてしまうものである。しかし自分の病気について勉強するのはいいが、最終的に診断はプロの医者が責任を持って行うことである。その診断のツールとして、客観的な検査の数字が活かせるようになることが望まれる。

入院

眠りが浅く、目覚めが悪く、倦怠感が続く。精神疾患であるかどうかはともかく、睡眠障害があることは確実なので、7月、国立精神・神経医療研究センター睡眠障害センターを受診して、そこで入院治療を勧められた。入院と聞いて最初は驚いたが、睡眠障害の治療には、病院で寝泊まりしたほうが良いのだという。

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国立精神・神経医療研究センター病院。五階建てで、四階と五階が精神科病棟になっている。

8月から9月、大学の夏休みに合わせて国立精神・神経医療研究センター病院に入院。深部体温を測りながら「ブライトライトME+」を使った高照度光療法、ラメルテオン(メラトニン受容体アゴニスト)などによる概日周期睡眠障害の治療を行った。

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覚醒から睡眠に移行するにつれ、セロトニンが減ってメラトニンが増える。寝つきが悪い場合には、夜になったタイミングでメラトニン受容体を刺激する。

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五階の南病棟は、精神科の開放病棟である。通称は「ゴミナミ」

睡眠障害の検査と治療が主であっても、入院したのは精神科病棟。統合失調症双極性障害うつ病など、いろいろな精神疾患に罹患した人たち三十人ほどと起居を共にする。不思議の国にいるような、簡素で規律正しい生活。入院は出家、病院は僧院。これは、日ごろの不規則な生活を正すのに、なかなか効果があった。慢性的な倦怠感も改善した。

睡眠検査

MSLT(睡眠潜時反復検査)は、以前に睡眠総合ケアクリニック代々木で受けたことがあった。睡眠潜時は、ナルコレプシーの目安となる5分より長く、また睡眠麻痺もなく、ふだんから情動脱力発作もないことから、ナルコレプシーではないことがわかった。診断は、特発性過眠症である。原因不明の過眠症、といったところである。

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国立精神・神経医療研究センター3南病棟での終夜睡眠ポリグラフ(PSG)検査。(上は、「「終夜検査の様子」を自撮りしようとしている様子」を自撮りした写真。)睡眠時無呼吸症候群や、周期性四肢運動障害・レストレスレッグス症候群(むずむず脚症候群)などが発見できる。

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心電図用の電極と、脳波、手足の動きを計る筋電の電極が貼りつけられ、胸部と腹部には呼吸の度合いを測る帯が巻かれ、鼻には呼吸を計測するセンサーなどをつけられた無残な姿。(写真上:装着前、写真下、装着後)

しかもこの情けない姿を天井に設置されたカメラ(右上)で、寝ている閒、ずっと撮影される。(→参考映像『スパスパ人間学』「眠りと夢」。国立精神・神経センター精神保健研究所精神生理研究部での終夜睡眠検査の様子)。

こんなものをつけて眠れるはずがない。みんな、立ち上がろう、と言って、立ち上がって鼻のセンサーをちぎり捨てる夢を見て、驚いて起きると、本当に鼻のセンサーを外していた。スタッフを呼び出し、こんな格好では眠れない、と言うと、睡眠薬を飲ませてくれた。気持ちよく眠っている閒に検査は終わった。

この検査で、睡眠時無呼吸症候群が見つかった等々の理由もあり、9月に予定していた退院が延期となった。

開放病棟から閉鎖病棟

退院予定日の前には、もうひとつ奇妙な出来事があった。

ある朝、目覚まし時計に起こされたときに絶望感を感じ、起きて活動したくない、そんな元気が出ないし活動する意味もない。いっそ布団の中で「永眠」したい、などと看護師に言ったところ、意外なことに、大変に驚かれた。こういう感覚はアラームで起こされたときにはよくあることで、たいがいは10分ぐらいで消えていくのだが、そのときは、もっと長続きしたのは事実である。

主治医が呼ばれてやってきた。そもそも、人間が物質的存在として生きること自体には意味がなく、しかし人間は、家族とか仕事とか、あるいは宗教といった物語に意味を見いだして生きているのではないか云々、と、抽象的な持論を展開。

万が一のことを考慮して、希死念慮のある患者を退院させるわけにはいかない、ということになったのかどうか。開放病棟のほうが混雑していたということもあり、閉鎖病棟へ転棟、という不思議な事態に。これでも退院が長引いてしまった。ふだん大学や学者仲間とふつうに議論している話でも、文脈を間違えれば不適切な発言となってしまう。あるいは、大学という場所は精神病院よりもずっと不健全な狂気が流布されているところなのかもしれない。

しかし、総じて、統合失調症などの「普通の精神病」の人たちは、「普通の人」たちだった。つまり退院したら家族と一緒に寿司を食べたいと願っている人たちであり、その点では健常な人となんら区別はないのである。

ある看護師が「蛭川さんは変な人ですね」と言った。うっかり精神科病棟にいる患者には言ってはいけない言葉である。しかし、この文脈では「精神病を患った人」と「変な人」とは区別されていた。「精神病を患った人」は「変な人」などではないし、適切に治療を受けて寛解すれば普通に「普通の人」になる。私は「変な人」と呼ばれたが、それと精神病は別の問題である。精神病は治療できるが、「変な人」は治療できないか、あるいは、する必要がないのかもしれない。

治療の結果

入院をして、たしかに具合はよくなった。身体が軽くなった。しかし、その「良くなった」感覚を客観的に知りたいと思って、入院の前後、知能検査の下位項目をやりつづけてきた。

4月に知能検査(WAIS-Ⅲ)を受けた後、6月から、一人でも簡単にできて、繰り返しても練習効果が上がらない下位検査である「数唱」「符号」「記号探し」を繰り返し、自分で勝手に実施していた。この簡易検査の分析をもとに、入院後の9月にWAISの群指数を試算してみた。

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鉛筆で適当に書いた、かなり大ざっぱな試算ではあるが、4月の検査結果が実線、9月の試算結果が破線である。凹みが回復して、プロフィールがIQ130強でだいたい平坦になっている。入院して、慢性的にボンヤリと怠い感じが軽快したのだが、それがある程度数字で示せたということになる。

また、6月から9月までの数唱の点数をグラフにしたものが下図である。

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これも鉛筆で適当に書いたもので、ごちゃごちゃして見にくいが、ようするに入院前から入院中にかけて、数唱の点数(ワーキングメモリ)が上昇したことがわかる。順唱と逆唱の平均で、7桁程度(普通の人の平均。IQでいえば100)から、10桁程度にまで回復している。

その後

9月から10月にかけて段階的退院を行った。病院、自宅、大学の行き来を繰り返したあと、現在では自宅で暮らしながら病院には通院している。病棟での集団生活と治療によって漫然とした夜型生活が治り、それに従って正体不明の倦怠感も軽快した。睡眠時無呼吸の治療はいまも続けている。


(簡単な入院報告のはずが、思いついたことを書き足しているうちに、ずいぶん長くなってしまいました。おいおい複数のページに分割します。)


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(2017-10-17 作成 11-10 更新 蛭川立

*1:「アドバイスや共感よりも理解を(絲的ココロエ(2))」『こころの科学』189:100-103、2016

*2:IQとは、平均を100、標準誤差SDを15とした場合の換算値である。

*3:ワーキングメモリをテストする簡単な方法のひとつが数唱である。これは通常、二人ひと組で行うが、一人でできるゲームもある。たとえば「Digit Span