読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

蛭川研究室

蛭川研究室の「はてなブログ」版です

茶名「芳立」の由来

魂の勉強

 「んー、お公家さんですね」エミコさんは私の顔をじっと覗き込んだ。いや、彼女の視線は、私の斜め後方にフォーカスしている。「お公家さん。武士じゃないですね?貴族。花園天皇の近くにおられた方です」。そう断言した。

 糸満で美容師をしているエミコさんは、地元で生まれ育った人ではない。本土から嫁いできた人である。そういう理由もあってか、本土の歴史や文化にも詳しい。沖縄に移り住んできてから、精神的に不安定になった時期を経て、いわゆるユタになったという。当時は、この業界ではまだ若く、学研の『ムー』などにもこまめに目を通し、精神世界についての最新情報にも明るい、新世代のシャーマンの一人だった。

 そんなエミコさんに話を聞きたくて来たのだが、話の都合上、やはり何か悩み事を相談しなければならない。健康上の問題がわかりやすい。どこが悪いのかと聞かれても、頭が悪いのだとしか答えられない。ひ弱な割には、首から下には具体的な病気がない。まずは、幼少時から悩まされている偏頭痛のことについて聞いてみた。これは、体質のような慢性疾患で、いまの医学では治療する方法がない。対症療法としては、鎮痛剤を飲むしかないのだが、私の場合、なぜか鎮痛剤も効かない。吐き気を伴う痛みが過ぎ去るのを、布団の中で、ただ何時間も耐えるしかない。持病としては軽度の躁うつ病もあったのかもしれないが、とくに軽躁状態の時は具合がよく、病識というものがはっきりしていなかったように思う。

 現代の医学では治せないもの、それがシャーマニズムの得意とする領域である。エミコさんの考えによると、病気というのは先祖からの知らせだという。これは、彼女のオリジナルではなく、沖縄では一般に共有されている観念である。身体の下のほうに来る病気は、比較的近い祖先霊からの、比較的具体的な要求である。たいがいは、拝み不足(ウグァンブスク)、つまり、もっと構って欲しいという要求だから、それは供養の補充によって解決される。

 しかし、身体の上の方に来る病気ほど、より古い祖先からの知らせだという。とくに、脳の病気は、かなり古い先祖からのお告げであり、その要求も、もっと高尚なものになる。私の偏頭痛については、二十四代前の祖先が、「魂の勉強」をするようにと、知らせてきているのだという。そのとおりに「魂の勉強」をしないと、病気は悪化するという。ようするに、ユタ=シャーマンになるべきだ、ということである。それがエミコさんの見立てだった。

 もちろん、そんなつもりはない。私は、本当は、研究のために話を聞きに来ているのであって、べつに、シャーマンになりたくて来ているのではない。大学院生だった当時、心理学に興味がわき、学び始めていたのは事実である。心理学とは英語ではサイコロジーで、元を辿ればギリシア語の「プシュケー」「ロゴス」、つまり「魂」を「論理」するという意味から来ているなどと、私は馬鹿丁寧に説明した。エミコさんは、理屈では説き伏せられながらも、実際には釈然としない様子だった、というよりも、彼女が交信している、私の二十四代前の先祖にとって、釈然としなかったのだろう。

 私は、自分では、研究のためにエミコさんのところに話を聞きに来たのだと勘違いしているが、実際には、二十四代前の先祖からのメッセージを受け取るために、自分でも気づかないうちに「歩かされて」エミコさんのところまで来た。他のユタさんたちのところも、那覇沖宮や、斎場御嶽をはじめ、各地のウタキも巡った。そして、本人は「歩かされて」いることに気づかないか、気づかせようとしても認めたがらず、抵抗する、それが沖縄流の考えである。

 オウム世代の、世間知らずの理系エリートだった私のことであるから、その時点では、お恥ずかしながら、花園天皇とは、いつの時代の、何をした人なのかも知らなかった。しかし、四則演算ぐらいの心得はあった。調べてみると、花園天皇とはおよそ七百年前の人だというから、これを24で割れば、平均で二十代後半で子を産み続ければ、なんとか計算には合う。

 その後、シャーマニズム的極彩色の世界に疲れ、その魑魅魍魎の体験世界を整理するには、もっと体系的な哲学が必要だと考えるようになっていった。とりわけ禅仏教の枯れた思想、あるいは「京都学派」の哲学の中に、幾ばくかの答えがあると考え始めたころに、花園大学国際禅学研究所の客員研究員として招聘され、ふたたび洛中に入ったのは、西暦で2005年の春である。大学院の途中で京大を去ってから、十二年が経っていた。花園大学社会福祉学部教授で、精神科医でもある安藤治先生が、瞑想を、不安やうつを軽減させるための心理療法に応用できないかという研究を始めていた。しかし坐禅は敷居が高い。私がタイで学んできたヴィパッサナー瞑想が参考になるのではないかと、そういう話だった。今風にいえば、マインドフルネス認知行動療法というものの走りだった。

 二十四代前のご先祖様は、やっと、人助けのための「魂の勉強」をしに来たか、と思ったかどうか。彼が誰なのかも、よくわからないままである。千本丸太町の「平安京大極殿跡」にも行ってみたが、今は石碑が建っているだけだし、とくに何かを思い出すような感じもなかった。京大にいたころには、街の西の方には用事も興味もないので、ほとんど行かなかった。妙心寺では、とりあえず西田幾多郎のお墓に頭を下げておいた。偏頭痛の発作は、歳をとるごとに頻度が減り、症状も軽くなってきている。加齢によって自然におさまる、そういう病気なのだが。

(第二部「芳ばしい人」に続く)

(2016/2559-07-12 作成 蛭川立

Necology: ネコの「事情」についての動物行動学的研究

 大げさにいえば、自分の研究の基本を見直そうということ、また「地域猫」活動の可能性について考えるためにも、近所のネコたちの数や生態を把握しておこうと、帰国後、東京の、ネコの額ほどの庭で、ネコ観察を始めてから、もうすぐ一年が経つ。これがすっかり毎日、とくに週末の楽しみになってしまった。

 学部から修士にかけて、最初に取り組んだ学問的課題は、動物行動学と行動遺伝学である。指導教官は、井上民二、日高敏隆PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)法の発見に促され、ヒトゲノムの解読が、もうすぐ完了しようとしている時代だった。PCR法は遺伝的な父子関係を確認するためにも革新的な方法だった。ネコの行動学と遺伝学との接点を追求するために、霊長類研究所でネコ遺伝学の研究をしていた野澤謙先生に弟子入りしようかとも考えた。この流れは、同世代の山根明弘による「ノラネコロジー」へとつながった。(山根明弘『ねこの秘密』『ねこはすごい』などを参照。)私自身は、日高敏隆の退官後、人類集団遺伝学を研究するために、東大人類学教室の青木健一先生のもとに移動した。ネコは好きだが、最終的には、やはり人間の行動を基礎づける遺伝子=タンパク質について、もっと知りたかったからである。

 いわゆる京都学派のスタイルは、まず動物の行動が観察できる、開けた空間を確保すること。餌付けは、そこで動物を観察するための「必要悪」であり、できるだけ動物の生態を乱さないのが原則。(このことは、保護活動の原則には反するが、それについての議論は、ここでは行わない。)一個体ずつ個体識別してノートに記録する。擬人化することはむしろ良いことで、だから個々にニックネームをつける。ニックネームは、直感的な感覚で決める。外見で「クロシロ」と呼んだり、性格で「フレンドリー」と呼んだりする。できる限り長く、最低でも季節が一周する一年は同じ場所で観察し続ける。

 現在までに、姿を消したネコも含め、メス5匹、オス8匹、合計13匹を個体識別した。全個体、毛並みが良く、栄養状態が良い。不妊手術済みの地域猫はメス1匹だけである。住宅密集地で、たとえ観察のために餌付けをしなくても、他のどこかで十分に食料を確保しているらしい。そのほかに、2匹以上のハクビシンも確認。ハクビシンは、夜間の数回の目撃で、顔や模様から性別を確かめ、個体識別するのが難しい。

 ネコの発情は、冬至をきっかけに、日が長くなることから始まる。直近の発情の「準備」が始まったのが2015年の11月下旬で、発情期の開始は12月、ピークは2016年の2月、ほぼ収まったのが5月である。発情はメスから始まり、そのフェロモンに誘発されてオスたちも発情する。オスの行動の変化のほうが、はっきりしている。とくに、オスどうしの縄張り争いが顕著になる。栄養状態が良く、近隣住民にも可愛がられていることが、逆に不自然に高い個体密度という状況を生み、オスネコたちにとっては、他のオスネコの存在が気になって仕方がないようである。イエネコの原種であるリビアヤマネコは、広大な半砂漠地帯で、広い縄張りを持って暮らしてきた。単独性であり、社会性は低いと学んできたのだが、観察してみると、都会ネコの社会性は、予想よりもずっと高かった。不自然な高密度で暮らすための、やむを得ない適応なのかもしれない。

 オスたちは(発情期のピークにあるメスたちも時々)尿を吹き付けたり、頬をこすりつけたり、爪研ぎをしたりして、マーキングをする。マーキングを行う場所は、特定の木の枝、細い草の先端など、どうしてこの場所が選ばれたのかという理由がわからないぐらい、ネコたちの相互の合意によって、恣意的に決められているようにみえる。オスネコたちは、間接的に匂い付けをしあうが、めったに直接衝突はしない。直接向かい合う場合でも、長い間唸りながら見合って、どちらかがあきらめて逃げるのが普通である。そして、勝ったオスは、負けたオスを深追いしない。自分の縄張りが確保できればいいのであって、リスクを冒してまで、他のネコの縄張りに侵入しようとはしない。一般に、年長で身体の大きなオスのほうが優位という傾向がある。「尖閣諸島/釣魚群島」や「竹島/独島」や、あるいは「マルビナス/フォークランド諸島」のような、小さな場所に、相互に上陸しあい、前に来た者が立てた国旗を抜き捨てて、自国の国旗を立て直し、撤退するという作業を繰り返している、とでも喩えれば良いのだろうか。これは、過度の擬人化だろうか。京都学派的なアプローチが、擬人化のしすぎによって客観性を欠いているという批判は理解できるが、擬人化することで、より共感的理解が深まることもある。

 しかし、ヒトと違って、今まで数百回観察したかぎりでは、ネコたちは決して直接物理的に傷つけ合っていない。耳を噛んで傷つけるという行動さえ観察されていない。ネコが優秀なハンターであることはいうまでもない。その瞬発力たるもの、一撃必殺である。それだけの能力を持ちながら、ネコたち同士は決して殺し合わない。同種間での、しかも集団的な殺戮行動が、人間にしかみられないことは、コンラート・ローレンツが『攻撃ー悪の自然史ー』(日高敏隆・久保和彦訳・みすず書房)の中で指摘したことである。同種殺しの例外的な事例は、チンパンジー社会などでも報告されているが、同種間攻撃の回避は、振り返って人間の行動を考える上で、重要な問題提起をしていることには変わりない。

 岸田秀は、人間は、同種間攻撃を抑制する「本能」が壊れた生物なのだ、と指摘した。だから「代理本能」として、象徴的な記号世界を発明したのだという。岸田は精神分析の立場に依っているが、人文社会系の多くの学問が、人間を動物「以上」の存在と見なしたり、逆に動物「以下」の存在と見なそうとする。日高敏隆はその人間観に抵抗した。人間もまた一種の動物なのだから、「以上」も「以下」もない。高等も下等もない。それぞれの種には、それぞれの種に固有の「事情」があるのだから、人間を特別扱いはしない、という立場である。文化人類学における文化相対主義とも通じる発想である。『日高敏隆の口説き文句』(岩波書店)の中で、岸田は、日高さんは、人間は文化を発明したから本能が壊れてしまったという、逆の因果関係を考えているだけで、二人の考えに違いはない、と述べているが、私の理解では、これは違う。日高さんは、「ヒト」という呼称を嫌い、「人間」という言葉を使いたがった。それは、生物としての「ヒト」が、文化を学習することでやっと一人前の「人間」になるという考えが、間違いだと考えていたからである。「人間」は生まれたときから「人間」であり、それは「ネコ」が生まれたときから「ネコ」であるのと同じことだ、という意味である。(日高さんは、猫にかんしては、「ネコ」というカタカナ書きを好んでいたような気がする。『ネコたちをめぐる世界』という著書もある。)

 たしかに、人間も、本当は大規模に直接的には殺し合いたくはないようにみえる。たとえば国境の紛争地帯に、象徴的に国旗を立てるという行為は、いかにも人間らしい行動である。棒の先に、縞模様や天体をデザインした長方形の布をつけ、それが風ではためく、その動きが、一種の解発因 releaser となり、そちらに注意が向くことで、象徴的な忠誠心は高まるが、逆に、身体的な攻撃性は抑制されるのではないだろうか。棒の先についた布という象徴は、チンパンジーやボノボが、葉がついた木の棒を引きずって走り回る行動とも似ている。

 逆に、ネコほどの知能を備えた動物であれば、視覚ではなく嗅覚で、ではあるが、やはり人間と同じような象徴的な概念を操作しており、むしろその世界のほうに、物理的な現実よりもリアリティを感じているようにもみえる。ある若いオスネコ「リビ」が、「匂い付けの場所」で、前に来た年長のオス「キナ」がつけていった匂いを入念にチェックしているところに、実物の「キナ」が現れても、匂いをかぐことに熱中するあまり、ライバルオスの物理的身体が至近距離まで近づいても気がつかなかった、ということもあった。

 もっとも、ここで結論として「ネコの社会的認知にも、ヒトと同様の記号的、象徴的な情報処理の萌芽がみられる」などと書けば、日高さんは、「ヒト」ではなく「人間」と書けとか、その「萌芽」という言葉は余計だとか、指導してくれるだろう。ネコはネコであり、何万年経っても人間へと進化するわけではない。目玉をキョロキョロさせて、何度も頷きながら「うん、うん、でも、ネコにはネコの『事情』がある」と言っている、そんな日高さんの姿が、まぶたの裏に浮かぶ。


(メスたちの興味深い行動については、また稿を改めて論じたい。)

(2016/2559-07-09 作成 07-10 更新 蛭川立

勤勉と強迫の文化

 (熊本城が地震でダメージを受けたが、大きな倒壊は起こらなかったらしい。犠牲になった人々に哀悼の意を表し、困難に遭っている皆さんを励ましたいと同時に、地震単独では被害が小さい、日本の建築が優れていることについて再考している。)

 あまり関係ないことのようだが、15年前、西暦2001年のペルー大統領選挙で、ケチュア系のアレハンドロ・トレドは、現職のアルベルト・フジモリを破って、先住民系初の大統領となった。先住民系だからというよりも、アメリカ仕込みの経済政策が評価されたという。

f:id:ininsui:20160705193156j:plain

(「変革のために投票しよう」「トレド」「もっと雇用を」ロレト県イキトス市)

 日系(熊本系)のフジモリが大統領になったときのスローガンは、「正直・勤勉・テクノロジー(honradez, tecnología y trabajo)」だった。この言葉は、ペルー社会における日系人のイメージを象徴している。あたかも、他の一般ペルー国民が「嘘つき」で「怠け者」で「ローテク」であるのを、あざけ笑うかのようでもある。

f:id:ininsui:20000228034708j:plain

(西暦2000年の大統領選挙の時に、プカルパ県、サン・フランシスコ先住民共同体にやってきたフジモリ候補の選挙船)(政治活動の撮影には、十分注意しましょう)

 しかし、この言葉が、かつてのインカ帝国のスローガンからの借用である事実を知れば、皮肉なことにフジモリは、その勤勉さによって帝国を築き上げたケチュア系民族に敗北したということになる。顔つきだけではなく、ケチュア系先住民と日本人には、そのパーソナリティにおいても似たところがある。ケチュア人はコカインを愛し、日本人はメタ・アンフェタミンを愛してきた民族である。中井久夫は『分裂病と人類』の中で、「原始人」とみなされるニューギニア高地民族の、整然とした段々畑を、狩猟採集民の分裂病的性向とは明確に区別し、「強迫神経症」と評した。インカ時代につくられ、あまたの地震を耐え抜いてきた建築群の、徹底的な機能美にも、同じ時代に作られた、同じく地震の多い日本の城石垣を上回る「ハイテク」な強迫性がみられる。(アンデス産の特筆すべき薬草には「マカ」がある。テストステロン値を上げるという謳い文句が本当かどうかはともかく、テストステロン値を増大させることが望まれる社会が、決して温和な社会ではあるまい。)

f:id:ininsui:20160705201655j:plain

 上の写真は、クスコにある、インカ時代の太陽の神殿の遺構である。スペイン人征服者たちは、実際的には材料の不足を補うため、また何よりも象徴的な征服という意味で、先住民の神殿を破壊し、その上に教会を建てた。しかし、皮肉なことに、大地震があるたびに、上に建てられた教会は倒壊し、土台として使われた先住民の神殿跡は残ったという。

 インカ帝国においては、重罪人は、サソリの入った牢獄に放り込まれたという。じっさい、マチュ・ピチュ遺跡では、やはり整然とした段々畑に加えて、殺人犯や強盗、そして「怠け者」が放り込まれたという、牢獄の遺構を見ることができる。勤勉は美徳だ。しかし、「怠け者」は殺人者と同じぐらいの重罪なのだろうか。

 いっぽう、コカではなくアヤワスカー現世的な「経済発展」には結びつかない薬草ーを大事にしてきたアマゾンの先住民は、決して遅れた未開民族なのではない。その種の発展を、積極的に避けてきたのだ、とは、ピエール・クラストルの見解である。彼は主にブラジル南東部の先住民、グアラニの文化を研究した。クラストルは、アンデス/アマゾンという、安易な図式化を戒めているが、同じ先住民の文化の違いを理解する上では、役に立つ一次近似である。

 f:id:ininsui:20160704190028j:plain

(無理を承知で強引に図式化した、ペルー先住民の地理的/心理的概念図)

 f:id:ininsui:20010823171742j:plain

 上の写真は、ペルー・アマゾン先住民、シピボの人々の、日常的な生活のひとコマである。「家内」は女の領分であり、畑での生産労働、再生産労働(子を産み育てること)、料理や洗濯などの家事労働、そして現金収入のための民芸品作りは、女性の仕事とされる。女性がせっせと民芸品作りに精を出し、男性たちはそれを取り巻くように、お喋りをしながら、ぶらぶらしている。情けない姿に見えるが、これはその社会の持つ余裕であり、豊かさでもある。

 かつて戦争は、男にとっての、もっとも重要な「仕事」だった。アマゾンの先住民は、しばしば獰猛な「首狩族」だと見なされてきた。ミッションが野蛮な習慣を止めさせるまでは、彼らはたしかに好戦的な人々であった。しかし、彼らの「戦争」というのは、一人の女をめぐる二人の男の争いなど、かなり個人的な理由によっており、少数の犠牲を出して短期間で終わってしまうものだった。そしてそれは、西欧近代が生み出したロマンティックな決闘というよりは、、他人よりも良いものを、他人よりも多くのものを所有することを許さないという意味での妬みに起因するものであった。嫉妬による際限のない小さな争いが「帝国」の出現を抑制していたともいえる。そして、何万人という人間が「民族」や「国家」という大義のために団結し、何年間も苦しみを共にしながら戦い続るためには、個人的な感情をはるかに超えた、とてつもない「勤勉さ」が求められるのである。日本人がメタアンフェタミンの合成に成功した背景には、こうした必要性が存在していた。

 R・ヘイムズは「文明の進歩は労働時間を減少させるか?」(Current Anthropology)という論文の中で、アマゾンの焼畑農耕民シピボ、ママインデ、ワヤナ、ヤノマミ、ヤノマモ、イエクワナ、メクラノティ、マチゲンガ、アチュアラ、ワヤナの10民族で調査された労働時間を集計して、その平均値を計算している。それによると、一日あたりの平均労働時間は、女性のほうがやや長いが、共に約5時間だという。これは、狩猟採集民、集約農耕民、および現代の賃労働者と比べて最短である。労働時間の短さは、それだけの時間働けば食べていけるということを意味しており、それはまたその社会が持っている時間的余裕、ある種の豊かさを表している。ヘイムズはアマゾンの先住民こそ世界でもっとも時間的に豊かな人々であると結論している。逆に、もっとも時間的に貧しいのは、もっとも「文明化」された現代の賃労働者か集約農耕民かのどちらかだということになる。(ヘイムズがまとめた労働時間の一覧表はこちら

 雇用の創出は、当座の重要課題である。しかし、我々は、実際、何のために働くのだろうか。「コンピュータの進歩によって雇用が奪われる」などと語られる現代こそ、社会は本当の意味での変革を求められている。私が子どもだったころは、21世紀にはコンピュータが人間の能力を超える、だから人間は働かなくてもよくなる、という、可笑しな夢を胸に抱いていたものだった。いったい、どの政治家が、こうした「経済政策」を考えているのだろう。


(2016/2559-07-05 作成 07-23 更新 蛭川立

精神分析から政治人類学へ

(無理は承知で、南米北西部の先住民社会とフロイトユングの意識/無意識の概念図を対応させてみました。)

f:id:ininsui:20160704190028j:plain


(2016/2559-07-04 作成 蛭川立

家族図の表記法

男は四角か三角か?

 このブログでは、家族図の中で、おもに文化人類学的な表記法を使っています。自然人類学など、多くの他分野との違いは、文化人類学では男性を△で表すのに対し、他の分野では□で表すことです。女性が○であるのは同じです。他の多くの分野での一般的表記法については、たとえばVINTAGEの「かんたんジェノグラム」の解説ページにリンクを張っておきます。

 性別が不明な場合と、性別が男女以外の場合、遺伝的な親子と社会的な親子の区別、生物学的な性関係と同居関係と、社会学的な婚姻関係の区別、死別した場合と死者と結婚した(冥婚)場合の区別など、表記が難しいものほど、それについて考察する重要性は増すのですが、一般化された有効な表記法は存在しないようです。

「冷戦」で分断された「二つの人類学」

 人の話を聞いては「フィールドノート」に書き留めるという作業をし始めたのは、大学を出てからでした。本や論文を見て自然に真似たのだと思いますが、気づけばいつの間にか文化人類学的表記方法に慣れ親しんでいました。しかし、四月から学生相談の仕事を始めるようになり、他人にも読まれることを意識しながら家族図を書くようになってから、ふと文化人類医学的な表記がマイノリティであることに思い当たりました。記号は記号ですから、正しい記号などがあるわけではないのですが、読むのが誰かは考えなければなりません。

 最後に卒業、というより退学したのは、自然人類学の大学院で、そこでは確かに男性を□とする表記法が使われていました。隣接する文化人類学の分野では男性は△です。意外に齟齬が生じないのは、両分野にあまり交流がないからなのでしょうが、それは望ましいことではありません。これは、なにも人類学や地理学のような特定の分野に限定された問題ではありません。自然科学と人文・社会学という、「二つの文化」の総合ということについては、学際的な学部に籍を置きながら日ごろより考えていることでもありますが、逆にいえば、朝鮮半島や中台両岸のような、特殊にみえる場所が、「冷戦」という普遍的な問題の集積点でもあるように、人類学や地理学(あるいは心理学)という分野にこそ、「人間」という普遍的な問題の、もっとも先鋭的な部分が集積されているのだとも言えましょう。


(2016/2559-07-03 作成 蛭川立

「ゲリラ」としての学問

柳川はかつて、宗教学はゲリラだ、と喝破して好評を博したことがあった。われわれは、宗教学であるという「制服」を着用せずともよい。別に宗教学だと名乗りをあげることもなく、他の学問があまり手をつけていない領域に忍び込んで、奇襲攻撃をかける。社会学とか心理学とかその他何々学という「正規軍」が到着して、方法論だの何だのとうるさいことを言いだしたら、さっさと引き揚げる。「何よりもわれわれの目標は、宗教に対する興味であって、一定の収穫があればそれでたりる」。だからゲリラだ、というのである。
脇本平也 (1992)「刊行のことば」脇本平也・柳川啓一(編) 『現代宗教学1 宗教体験への接近』 東京大学出版会、ⅰ-ⅳ頁。

私は、たとえ比喩であっても、軍事的な問題解決を好むものではない。しかしこの言葉は含蓄深い。こうした流れの延長線上に、植島啓司中沢新一といったトリックスターたちが位置している。賛否両論があるのは理解しているが、それがトリックスターの、トリックスターたる所以でもある。そして、職人芸には、相応のリスクが伴うのも事実であり、だから「ゲリラ戦」なのである。もちろん、制服には制服の美学があるということも、理解できる。

私は自らの研究分野が「宗教学」だとは思っていないし、そもそも「なに学」かというのは、二次的なものである。よく語られる「私は○○学者だから、○○の研究をする」という立場表明は、手段と目的の転倒である。「私は○○という現象に興味がある(が、それが『なに学』なのか解らない)」という問題意識が、方法論に先立つのである。引用文の中の「宗教に対する興味」の「宗教」を、他の関心対象に置き換えても同じことがいえるだろう。しかし、「宗教」、とくに「宗教体験」に対して、こうしたアプローチが、とりわけ有効であるのも事実である。

この論集は、井上順孝による、超常体験についての考察に始まり、中牧弘允による、ブラジルにおける、アヤワスカ茶系新宗教運動論へと続く。題して「茶を飲まずんば幻覚をえず」。趙州の「喫茶去」を彷彿とさせる凄味がある。


(2016/2559-07-01 作成 07-02 更新 蛭川立